第一章

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 二言三言の言葉を交わして、最後にいまだジョゼット夫人の陰に隠れてこちらを窺っているリーシャに「またね」と小さく手を振った。とたん、ビクン肩を跳ねさせるリーシャは、家の中へ一目散に入って行ってしまう。 (......やっぱり、嫌われてるのかな)  手を振る格好のまま固まって、乾いた笑いをこぼす。 「まったく、あの子は......気にしないでやっとくれね」 「はは、大丈夫ですよ」  呆れたような、困ったようなジョゼット夫人に笑顔を向けて、マルコは荷台を引く手に力を込めた。ゆっくりと回っていく車輪に力が乗る。 「それじゃ、また」 「ああ、気を付けてね」  ジョゼット夫人の気遣いに会釈と礼を言って、残りの道を行く。  二ペソ村の家々に知らせる響かないベルをガランと鳴らして、近くの川から引いた小川に架かる橋を渡り、短い坂を上った所にある村長の家にミルクを運ぶ。ここまでくれば終わりが見えて、残りのミルクもブリキ缶一つほど。坂を下って残りの家に売り歩けば、いつも通りコップ三杯くらいの量が残るはずだ。 「たまに完売しちゃうけど......」  マルコは以前の失敗を思い返して、少し荷車を引く力が抜けた。 『完売させちゃいけないよ』  それは、亡き両親の言葉だった。  完売と言うと良いことの様に聞こえるけれど、実はあまり良いことではない。  売り切ってしまうと、もう『売れなくなる』というのが理由なのだが――。 (小さい頃は意味が分からなかったなあ)  完売で売り切っているのに何を言っているんだ? と意味がわからないかもしれないが、つまりは、村を回り終わった後ないし村を回り終わる前に売るミルクがなくなってしまっては、せっかく欲しいと言ってくれる人、あるいはやっぱり欲しいと言う人に売れなくなってしまう。それは、買ってくれる人の気持ちを裏切るようなものだと、マルコの両親は言っていたのだ。 (たまにあるよね。クルミのパンが食べたい日にパン屋さんに行って、それが売り切れていた時のガッカリ感。パン屋さんなんだからあって当然っていう、ある種の期待が勝手に裏切られたような気持にさせる、あれ)
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