第一章

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 彼女が『自分は何者であるか』ということをきちんと理解していれば当然だ。  例え、人間の世界に順応できなくとも、自分が牧場で飼われている事や、飼い主の考えている事や、己がどういった目的で必要とされているのかをちゃんと分かっていれば、そもそも人間の形をしていない自分が人間の世界に収まる必要なんてないと知ることができるのだから。  だから彼女は、今日ももそもそと牧草をはむのだ。気ままに、自由に、惜しげもなく。 (とは言っても、私がただの『牛』なのかって聞かれれば、そうね、違うと言わざるを得ないでしょうけどね)  彼女は朗らかな一日になるだろう空の下でそう思う。  何せマルコから数えて四代前の最初の飼い主からつけられた『ミルク』という名前も、『ミイ姉さん』と敬称がついて早十年弱という時が過ぎてなお、彼女の出す乳の味に何の陰りもないどころか、出産の経験もないのにミルクが出ることや、牛という生き物の寿命から考えればそれこそ妖怪か物の怪かという年齢にもかかわらず病気の一つもしないうえ、一般的なホルスタイン種と比べて自身の体も非常識に大きいのだから彼女の考えは何も間違っていない。  そしてそれは、彼女自身にだってわからないのだ。  どうして自分はこんな体なのか? ということは。  ただ、そんなこと分からなくたって何一つ困りはしない。自分が牛で、どんな理由で飼われているのかさえ分かっていれば、生きることに懊悩なんてないのだ。雨風をしのぐ場所があって、毎日食事にもありつける。欲を言えば目鼻立ちの整った牡牛の一頭もいれば生活に張りと潤いが出るとは思うが、それは贅沢というものだ。そもそも、自分という不思議な体質と体の大きさに見合う相手がいるなんて考えられないわよ......と、彼女は牧草を奥歯ですりつぶす。 (そうね......多くは望まないけれど、生涯を連れ添ってくれる相手でなければね。まあ私があとどれくらいを生きるのかわからないから、何とも言えないのだけれど)  もふぅ、とため息に似た何かを鼻から抜いて、彼女は牧草をのそのそと食べ歩く。時たま背中に乗るシマエナガという小鳥の世間話に耳を傾けたり、牧場の横を走る道に顔を出す狐の親子と挨拶を交わしたりして過ごす彼女は、(そう言えば......)と思い出すことがあった。 (道で寝てる大きな亀、って何だったのかしら)
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