第一章

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 注文を聞いてミルク瓶を受け取ると、ブリキ缶を荷車から降ろして蓋を開ける。ミルクの甘い香りがあたりに広がるなかで、マルコは柄の長く大きいお玉をブリキ缶に突っ込んでミルクを掬った。ミルクの売値はこのお玉で掬った回数で決まっていて、一掬い(コップ一杯半程)で80イース。二ペソ村での一人が食べる一食の平均が700イースだから、お玉で約9杯売れれば一食分のお金になる。が、日々の消耗品やら日用品、牧場の管理費やミイ姉さんという名の乳牛の飼育費まで計算に入れれば、一日七十~百杯弱ほどは売れなければいけない計算になるというのは、一人で生きていくと決めたマルコにとって厳しい洗礼となった。 (1......2......3......)  マルコは胸の中で数を数えながら、慎重にお玉を操っていく。長い柄がミルクの入れ替えを邪魔するけれど、一人になってもう数か月。だんだんと慣れている自分を感じていた。  しかし、だからこそ思うこともあった。 (......、やっぱり父さんや母さんって、すごかったんだなあ)  ふと、死んだ両親の、アクロバティックなミルクの売り歩き方を思い出してほっぺたがムズムズする。くるくるとお玉が宙を舞い、ミルクが瓶の口や器の中に自然と吸い込まれていくような不思議なパフォーマンスで、お客さんを朝から笑顔にしていたのだ。売り物という観点から見れば信じられないことかもしれないが、それでもパフォーマンスが見たいと注文があれば、全力で期待に応える二人だったとマルコは記憶している。 (僕もいつかはみんなを笑顔にさせるんだ!)  お玉で掬ったミルク7杯をミルク瓶に移して、いっぱいに入ったそれをジョゼット夫人に渡す。瓶の口に鼻を近づけて香りを楽しむジョゼット夫人は、そのまま飲みだしてしまいそうだ。 「んー、いい香り。これでおいしいポタージュが作れるよ」 「それは良かったです」  ブリキ缶のふたを閉めて、荷車に乗せなおす。それから荷車の持ち手にかけておいた手拭いで汗をぬぐって、マルコはジョゼット夫人に会釈をした。 「今朝もありがとうございました。また、お願いします」 「なに言ってんだい。マルコの顔見なきゃ一日が始まらないんだ。明日も頼むよ」 「そう言ってもらえると元気が出ます」
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