前夜 浪人久保彦衛門独白 或は故長田源之進に対して

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前夜 浪人久保彦衛門独白 或は故長田源之進に対して

 あと半日もしない内に、俺は死ぬ。この夜が明ければ源一郎殿と立会い、斬られる。それは動かしようのない当然の末路だ。  不思議なものだ。それが判っていて、これほどまでに心が落ち着いている。動じていないのではない、むしろ逆だ。来るべきものがようやく訪れたという、安堵と納得で満たされているのだ。  強いて心残りを挙げるならば、残される皆への申し訳の無さか。俺が仇持(あだも)ちであると知って、それでも庇おうとしてくれた長屋や町内の皆。今も尼寺でひっそり暮らしているだろう、別れた妻のまさ(・・)。後ろ足で砂を掛けてしまったかつての主君。そして何一つ真実を知らずに真っ直ぐ父母の仇を討とうとしている源一郎殿にも。  済まない。誰もが皆、俺の嘘に騙されている被害者に過ぎぬのだ。主君の想いもの(・・・・)であると知りながら、それでも源之進殿と通じてしまった、卑しい俺の嘘の。  嗤って欲しい。この期に及んで、俺には何ら悔いは無いのだ。生来女を愛する事の出来なかった俺にとって、源之進殿との日々はそれだけの至福であった。咄嗟の弾みで源之進殿を手に掛けてしまった後、彼の遺したもののために自分の余生を使い切ろうという決心に、何の躊躇いもなかったほどに。  そう、先の言葉さえも嘘なのだ。申し訳無さなどどうでもいい(・・・・・・)。俺にとって真に大切なのは源之進殿ただ一人。何とも、武士の風上にも置けぬ身勝手ではないか。  少しでも償うとすれば、その嘘を貫き通す事か。久保彦衛門は卑俗な奸悪であったぞよと、唾を吐いてもらう事。俺などの死を惜しむ者を遺さぬ事。  なればこの払暁は正に、彦衛門一世一代の大芝居。せいぜいみっともなく足掻いて、悪役らしく斬られるとしよう。それでこそ源一郎殿の功名も上がる事となろう。  
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