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それが、どうだい旦那。ひでェ話じゃねェか。それがぜんぶ嘘っぱちだったんだってよ。
俺ら皆が尊敬してた久保先生は、ご同輩の女房を手篭めにして、それがバレた挙句にその同輩を斬り殺して、主家を逐電して隠遁してた、武士の風上にも置けねェ外道だったんだってよ。へッへへ、笑うしかありゃァせんや。
ああ、旦那もご覧になってたんでやすか。そうです、一昨日の敵討ちの一部始終。あの見苦しい事といったら。
人間、死に際には本性が出るってェ話ですが、それでもですよ。幾らなんでも、ありゃ無ェでしょう。仮にもお侍様が、自分の餓鬼みてェな歳の討手に対してアレですよ。刀は捨てるわ、泥まみれで転げ回るわ、金切り声で慈悲を請いながら命乞いするわ。三文芝居でも滅多にゃ観られねェって、そんな醜態でしょうや。
普段はナントカ一刀流だって喧伝されてて、俺らド素人相手には達人さながらだった久保先生も、本職のお侍様相手じゃあの始末だったってのがねェ。
百年の恋も冷めるってのは、この事でさァ。
……え、いやいや旦那。そこはそれ、言葉の綾ってモンで。そんな色っぽい意味じゃありゃァせんよ。そりゃ念友、衆道ってお侍様の嗜みは知ってはおりやすが、俺ら下々のモンにとっちゃね。矢っ張り女に限りまさ。
そうじゃなくて単に、あの久保先生のあんな様は見たくなかったって事でさァ。
俺らが信じてた久保先生は、最初からどこにも居なかったんだ。まるで絵草紙に出てくるような、あの高潔で清らかだったお人は、最初から偽りでしかなかったんだ。泥の中でも蓮が咲くように、ドン底の暮らしの俺らでも、あんな風に誇り高く、気持ち良く生きられるかもしれねェって、そんな望みが最初から嘘っぱちでしかなかったんだって。
それがね。ちっとばかり、なんだろうな。そうさな。
歯痒くてならねェ。
それだけでさ。
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