三月後 浄土宗円尭寺尼僧月修 阿弥陀三尊像に対して

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 元を辿れば、それは源之進様が殿の御寵愛を頂き、格別のお取立てにあった時から、既に始まっていたのかもしれませぬ。  こと立身出世に関しての殿方同士の妬みは女以上に(こわ)いとはよく耳に致しますが、過日源之進様に向けられたそれらの数々は、それはもう凄まじいばかりにございました。曰く尻小姓だの、曰く色で身代を買っただなどと、陰に日向にのべつ幕無し。あれが武士たる者のなさる事でしょうか。女の私の耳に入る部分だけでもその始末でしたから、いざ出仕して御公務をなさる上では、その幾層倍の嫌がらせがお有りであっただろう事は、想像に難くありませぬ。あの日々に源之進様の長田家と普段通りのお付き合いを続けていたのは、それこそ私ども夫婦くらいのものでございました。  なればこそ源之進様御自身も付け入られる隙を見せぬよう、必要以上にお厳しく在られようと努めていらっしゃったのでしょう。  日々の挙措にも万全の気を配り、杓子定規と指差されるのを何処吹く風で己を律する。殊更に(おとこ)らしさを強調し、武張った物腰、素振りをしてみせる。女子(おなご)と見間違うような源之進様のそういった振る舞いは、往々にして周りの衆の失笑を誘う事も有りましたが、あの方を身近で見てきた私どもにとっては、涙ぐましい努力でございました。  ともすればそこには、我が夫・彦衛門への抵抗がお有りだったのやもしれませぬ。(ろく)は卑小とはいえ、その学識や剣術から家中で一目も二目置かれている久保彦衛門と、そんな相手と隣付き合いをしつつも色小姓としてしか身を立てられず、そういった目でしか見られぬ自分自身。しかも当の彦衛門様は何の(てら)いもなく、対等の同輩として接してくる。  後から思い返せば、源一郎様と彦衛門様の間には、確かに一種のぎこちなさ(・・・・・)、余所余所しさがあったようにも感じられます。それまではどうにかお二人で会話を続けていたように見えたのに、ふと私やお咲様の視線に気付くと気まずくなって、そそくさと離れていってしまうような、そんな場面も幾度も目にした事がございます。
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