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そんな吊り橋の上を行くような危うい暮らしの中で、最も皺寄せを受けたのは御妻女のお咲様でした。
私とて武家に生まれた女です、己に幾許の価値も無い事は重々承知しております。幼い頃は父母に孝を、嫁いでは夫に貞を、そして息子が生まれて家督を継げばそちらに忠を、そうして己が生涯を御家の為に捧げるのは当然の御役目であり、疑った事などございません。
ですがそれを踏まえてもなお、源之進様のお咲様への為されようは目に余る所がございました。壁の薄い長屋ですから、怒声も打擲も、隣家の様子は手に取るように判ります。このままではお咲様が打ち殺されてしまうのではないか、そう恐れて彦衛門様がお止めに入った事も、一度や二度ではございませんでした。
それを思えば、私が嫁いだお相手が彦衛門様であった事は、この上ないほどの幸甚であったと言えましょう。生憎子宝には恵まれませんでしたが、日々を恙無く、何を憂う事も怯える事もなく過ごしていられましたから。何より彦衛門様は稀に見るお優しい殿方で、親しき仲にも礼儀ありと言うように、女房である私にも常に気を置いて、一線を引いて扱って下さいました。
お咲様からすれば、いいえ、他のどの御妻女からしても、不満を持つほうが罰当たりな身の上でございます。
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