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「そのままの意味だ。俺は狂い始めている。このままでは、何もかもお終いだ。だが、その缶詰の中に、俺の狂気を閉じ込めることに成功した」
矢継ぎ早に彼は言った。缶詰を見据える目が真剣だった。
僕はぼんやりと、それを聞いた。
缶詰には、それを開封するための、プルトップがついていて、引っ張れば簡単に開きそうに見えた。
「お前が持っていてくれ。俺は恐ろしい。これを預けることができる人間は、お前しかいないんだ」
返事をする代わりに、僕は鼻をすすった。
少しの間、考えた。それとも、月を見ていただけかもしれない。
やがて僕は酒を飲み、肩をすくめた。
「いいよ」
微笑んで言うと、親友は心底、ほっとしたような顔をした。爛々としていた目の光が、少し和らぎ、肩の力が抜けたようだった。
「ありがとう」
そう言って、彼は立ち上がった。
「もう帰るのか」
十年ぶりなのに。何も話していかないんだな。
重そうなカバンを肩から提げ直し、親友は、さようならとも言わずに、去っていった。
手付かずのグラスと、黒い缶詰が後に残った。
彼は、どこへ行くのだろう。
最後の酒を飲み干して、僕は狂気の缶詰を手にとった。
少しの間、それを手のひらで転がしてみる。
軽かった。とても。
少し笑って、僕はプルトップを引いた。
パカンと軽い音がした。
中には何も入っていない。微かに薄暗い何かが、飛び去ったような気もしたが、それはきっと錯覚だろう。
空っぽの缶詰を肴に、僕は客に出したつもりのグラスから、もう一杯の酒を呑んだ。
カランと氷が鳴った。
さようなら。
僕は声に出して、そう言った。誰もいない、月明かりの射す部屋で。
翌朝の新聞に、彼のことが載っていた。
朝一番の列車に飛び込み、細切れになって死んだと。
雨の降っている朝だった。
そういえば、昨日の月には朧な、傘がかかっていたなと、僕は思った。
END
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