番外編:4数センチの距離

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「……理壱?」  向かいの席の理壱は、本を抱えたままうつらうつらとしている。  ここに連れてきてくれたのは、ビーフシチューが食べたかったから? 絵本があったから?  多聞さんと知り合ったきっかけはなに? どうやってここを知ったの?  すぐ近くに理壱がいるのに、私は言いたいことや聞けないことがいっぱいあるよ。  追いかけたらそれでいいんだと思ってた。  だけど、やっぱり、少し遠い。  多聞さんがひざ掛けを持ってきてくれた。その心づかいがありがたくて、自然と頭を下げていた。 「ありがとうございます。ひざ掛け、お借りします」 「いいよ、気にしないで。……先生は疲れてるのかな? そうは見えないよね」  初老の男性に言うのは失礼かもしれないけれど、多聞さんはよく笑う男の子みたいにくすくす笑う。読み聞かせ会をしているから、男の子みたいな印象があるのだろうか。 「ところで、どうして先生って呼ぶんですか? 前の職業だからですか?」 「ふふ。それはね、吉崎くんは僕の弟の教え子なんだよ。だから学者先生」  理壱の先生のお兄さん? 「えっと……弟さんが先生をされているんですか?」 「ええ。今は退職したけど大学で教鞭を取っていたんだよ。弟がわざわざ教え子のことを兄弟に知らせるなんてないから、よほど吉崎くんを気に入っているんだろうね」  理壱にそんな人徳があるとは思えなくて、私は首を傾げた。多聞さんは理壱を見てからくすりと笑う。 「吉崎くんはいんちきくさいでしょ。ちょっとした趣向で呼んでるんだよ。……っと、気を悪くしないでね」 「いえ。その通りだと思います」  そんな談笑を交わしてから、理壱の隣に座ってお借りしたひざ掛けを広げて一緒に使う。  二人でゆったりとした時間をすごして和んでいるのに、心の底にある焦燥によく似た不安が溜め息をつかせた。  もっと話さなきゃ。理壱のことを教えてもらって。これからのことを考えて。  両親のことも考えて、できれば理壱に相談したい。  追いかけて終わりじゃないんだ。  私たちがこれからも一緒にいられるようにしなきゃ。
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