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自由の子(1)
「自由の子」
「ねえ、おじさん…」
「?」。ふり向くとそこに少女がいた。
瞬間的に世俗的な、また自己保存的な思いが頭をよぎる。
『この子は何だ?…かわいらしい子だ…こんなかわいい子と話していたら、通行人たちはどう見るか…何かと誤解されはしまいか』等々のこと。
しかしそんな俺に一切お構いなく、少女は言葉をつなぐ。「ねえ、おじさん、あの雲はさあ、マリアナ諸島に行くのかなあ」「えー?」。
突然何を云うのかと呆気にとられたがつられて空を見る。そこにはなるほど帆船のような形をした雲がひとつ、風に乗ってふうわりふうわりと、
ゆっくりと南へ移動していた。
海に見紛う、抜けるような青空をバックにして。
『ははあ、どうやらこの子はこの施設の子だな』と俺は見当をつける。
俺はタンクローリーの運転手で、精薄児の施設に油を入れに来ていたのだった。
『ハハ、そうか。しかしまいったなあ、どう受ければいいのか』と困惑してしまう。
「そうだねえ、行くかも知れないねえ」などと照れながら返事をする。
「ふーん、行くんだ。やっぱり。行きたいなー、ぼくも」となぜか自分を「ぼく」呼ばわりしながら少女は云った。さらに、
「ねえ、おじさん、ぼくもあの雲のお船に乗れるかなあ」と重ねて訊いてくる。
いまにも空に昇って行って、乗船しかねないような、
そんなあこがれいっぱいの表情(かお)をしながら…
しかし改めてよく見れば本当に何とかわいい子だろう。十から十二才くらいの、映画の子役にでもしたいような、綺麗で聡明そうな子だ。
とても精薄児とは思えない。
しかしそれゆえの話しづらさ、話の受けにくさでもあった。俺はすっかり当惑し顔を赤くしてしまう。
「いや、それは…」二の句を継げないでいると、
「ああ、わかった。おじさん、恥しいんだねえ。ぼくが馬鹿だから」と少女は明るくあけすけに云って、俺を気づかってくれた。
ところが俺と来たらもうパニックってしまって、地下タンクのメーターを見に行ったり、車のPTOを調節したり仕事に託けるばかり。
そのままうやむやな対応で終始してしまった。
ほとんどこの子を放ったらかしにしたままで…
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