1 高御座の縁

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「これ以上血が近しい中で子を為して良いことがございましょうか。帝には外戚として権勢を振るおうとしない人の娘がよろしい」  事実、異母妹を皇后に立てることも多かった古代から、藤原氏から繰り返し后を立てるようになった現代まで、皇室は血を重ねに重ねて来た。他氏から妻を娶る藤原氏と比べても、皇子たちは短命であることが少なくない。  女御はこんこんと兄と帝を説き伏せられたという。     そうして、白羽の矢が立ったのが、深草の帝の孫でまだ裳着も終えなかった私だ。父の生母は女御だったが滋野氏だし、私の母は藤原氏でも没落した式家の、その傍流の出だ。内侍が将来のない親王の北の方に収まっただけで、誰もやっかみもせず、広い屋敷を有するとは言っても、洛南八条で周囲は荒れ果てている。藤原北家とは縁遠くのどかな夫婦である。  それに対して、藤原北家と、皇統は血を重ねてきた。  田邑の帝は、父方でも母方でも従姉である染殿の后を第一の妃とし、お生まれになったのが水尾の帝である。水尾の帝もまた、母の従妹にあたる弘徽殿の女御を第一の妃とし、お生まれになったのが東宮である。  東宮と私は、同様に深草の帝の血を引く。東宮が深草の帝のひ孫で、私が深草の帝の孫である。現代の皇家でこれだけ離れていれば、もはや一族と言えるかわからないほどの他人だ。     
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