act.05

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 ふいに赤いギアの男が放ったアッパーに、青いギアをつけた男がもんどりうって倒れた。倒れた男は、起き上がる気配すら見せない。10カウントを数えなくても、赤いギアの男の勝利は明らかだった。 「あ~あ、バカじゃない、あいつ」  井手が横で呟いた。  櫻井はその意味が分からず、井手を見る。 「珍しくムキになっちゃってさ。よほどあのチャンピオンのことが気に入らなかったのね」  え?と思い、櫻井は再度リングを見た。  数名のスタッフが顔を青くしてリングに上がり、倒れた男のもとに駆け寄っている。  一方、赤いギアをつけた男は、見るからにこのジムの最古参コーチと目される初老の男と話をしながら、肩を竦めていた。 「世界戦間近のチャンピオンをのしちゃうだなんて。いい大人が、大人気ないことをするわ」  井手はそう言いながらも、クスクスと笑っている。  赤いギアの男がグローブを外して、ギアを取った。  汗が流れ落ちる横顔は、正しくあのマンションで見た男に違いなかった。 「香倉!」  井手が大きく声を上げた。  リングの男が、こちらの方を見る。  香倉と呼ばれた男は、微笑みを浮かべている初老のコーチに肩を叩かれながら、リングを降り、井手の隣に腰掛けた。 「あなた、何考えてるの?」  笑いが堪えられない井手が、男にミネラルウォーターのボトルを手渡した。  男はボトルに口をつけず、器用に水を喉に流し込んだ。     
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