第一章 1974年4月7日バルセロナにて

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 昨日イタリアのジェノバ駅を発って、途中サボンナという駅で下車して、ヒッチハイクを2時間ほどこころみたがまったくの徒労に終わり、その同じ駅から汽車にて15時間くらいかかって今日の朝、ここスペインはバルセロナに到着した。乗車中はぼくのいたコンパーメトにパキスタンの殺し屋風あんちゃん二人、スペインの馬鹿者田舎夫婦、フランスの人種差別主義者である父娘などが入れ代り立ち代りやって来たおかげで、ほとんど一睡もできなかった。またバルセロナに着いたら着いたで荷物預けが満員の行列、インフォメーションがサボタージュ(ひょっとしてシエスタだったか?)と来ており、詮方なくその日のうちのマドリッド行きはあきらめて(つまり地中海沿岸をバルセロナまで来て、そこを経由してマドリッドまで行くつもりだった。しかし短時間でも始めての地だったバルセロナをも散策してみたかったのだ)、重いリュックを背負ったままであっちこっちのペンションを、その日の宿を求めてたずね歩いた。しかしなにぶんにも昨夜来の徒労に失したヒッチの疲れと乗車中の不眠のために、山賊そこのけと云った風体の自分の形がたたって、なかなか宿を貸してもらえず、何件も訪ね歩いたあとようやくに、とある場末の薄汚れたペンションに荷をおろすことができた。日本で云えば木賃宿に当たるのか、いかにもそれ風の、愛想もなにもないニヒルなあんちゃんがおうように首を縦にふって中に入れてくれた。20キロはあろうかという重いおむすび型のリュックを床に放り出してベッドに身を投げ出す。どれもくたびれた家具が俺とお似合いの部屋だ(スペインの安ペンションはどこも家具付きで、500円で泊まれる。ほぼ同じ値段でドイツ・スイスなど先進国ではユースホステルがいいところだ)。  しかし俺のやることはすべて、なにか無駄が多い。根性もないのにヒッチハイクなどをやろうとしてあの重い荷物を背負ったまま何キロも歩いてみたり、その日その場での気恥ずかしさと苦労を避けて、どこか別の国、別の場所をなどといたずらに動きまわってしまう。一の金と労力ですむところを二にも三にもしているのだ。ヒッチにおける根性無しというのはヒッチを‘恥ずかしがる’ということで、その日その場での苦労とは当地当地での職さがし、バイトさがしに於いてご同様ということである。 
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