第一章 1974年4月7日バルセロナにて

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しばらくでも滞在したいところだが仕事捜しの身、そういうわけにもいかない。明日にでもマドリッドに発とうと思っているので、身体は相当疲れているのだがいささかでも市内見物におもむこうと思う(というか海を見たかった)。顔を洗ったり、タバコをふかしたり部屋で一段落したあと、俺は後生大事にリュックに仕舞っていた一着しかないブレザーと替えのズボンに着替えて街の散策へと出かけた。ギャングのようなフロントのあんちゃんに鍵を預ける。紺色のベルベットブレザーに着替えた俺を見違えたようで、ニヒルな顔にいささかでも笑みを浮かべるのがおかしい。表に出ると空は今にも泣き出しそうな曇り空だ。傘などなかった。この紺色のブレザーと灰色のズボンは一着しかないとっときのいわば余所行きで、普段はフードのついた灰色のヤッケにGパン姿である。雨が降ればそのフードをあげてしのいでいたのだ。雨が降り出して一張羅が濡れないよういまは祈るしかない。  携帯していた磁石で方向を確かめ南へと歩き出す。海を見たかったのだ。そもそも場末だったこともあるだろうが早夕暮れ近くになっていた街を行くと、仕事帰りとおぼしき労働者たちの帰宅する姿、市場で買い物中のがさつな女たちの声、粗末ななりで遊んでいる子供たちや、はては街角で無心するジプシーとおぼしき老婆などがいて、そのどれもが俺の胸に無性にあるなつかしさを感じさせる。半分くずれかかったようなアパートメントなどもあり、街全体に一種うらぶれたような観があって、それが、俺にとってはいかにも素敵で、‘息がつける’のだった。「ヤーポン」もしくは「ヤープ」などとさげすんで行くドイツ等先進国におけるこわい市民様たちの目もないようだ。それどころか俺のブレザー姿を金持ちとでも見違えたか、4、50くらいの婦人が「セニョリータ、セニョリータ」と云っては近づいて来、女を買わないかとすすめてくる。おそらく自分の娘でも抱かせるのではないだろうか、生活に窮したような、やつれた観のある婦人だった。とにかく、このようなバルセロナを俺はとても気に入った。来てよかったと、つくづく思う。
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