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Ep.1 【ツユクサ】
高校二年の夏休み前、迫る長期休暇に心を浮わつかせていた俺は昨日担任から頼まれていた用件などすっかりと頭の中から抜けてしまっていて、授業の終わりを告げる鐘の音と共に教室から飛び出した。いつもならこの後に終礼を行ってから帰宅、という流れになるのだが、今日に限っては担任の教師が家庭の都合で休んでいるので、その億劫な終礼も無くなっていた。
階段を駆け下り、数段を残してジャンプする。
ダンッッッ!と重たい音が踊り場に響き、硬い床は自身の体重をそのまま跳ね返し、足の裏が微かに痺れた。だがそれでも足は止まらず、ピッチは更に上がっていく。
一階に着いた頃には息はすっかり上がってしまい、呼吸と共に肩が大きく上下に揺れた。
気付けば喉は枯れ、真夏特有のじめじめとした熱に曝された身体は急激な運動と相まって一気に体温を上げ、背中からは大粒の汗がしみだしている。普段からあまり体を動かすタイプの人間では無かったが、こうして現実を見つめてみると訪れる夏休みを全力で楽しむだけの体力があるのかも疑わしい。
「……よしっ!」
パシン!と自分の頬を叩いて渇を入れ、俺は再び駆け出した。
廊下を抜けて下駄箱で靴を履き替える。はやる気持ちを抑えきれず、雑に上履きを仕舞ったせいで片方が地面へと落ちてしまったが、気にせずに玄関を飛び出して正門へとひた走る。
正門を抜けて、住宅街を駆ける。
住宅街を抜けて畦道に沿って駆け、警報器を鳴らしながら遮断機を下ろす踏み切りをギリギリで通り抜ける。
もうすぐ、もうすぐだ。
河川敷に入り、そのまま橋が掛かる麓へと向かう。
「ごめん、遅れたかな」
橋の影、静かに流れる川沿いに一人腰を下ろす彼女。
長い黒髪がそよ風に揺られ、露になったうなじは少しだけ汗ばんでいた。
「ううん、時間ぴったし」
振り向いた彼女の輪郭は川の光に照らされてきらびやかに彩られていた。
「そっか、うん。だけど、お待たせ」
ーーーーーこうして彼女と、露草 早苗(つゆくさ さな)との二日目の夏が始まった。
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