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冬の分水嶺
天空ハイウェイの幻想的な朝日を拝んでから一週間と経たぬうちに俺は現実に引き戻された。お金がないのだ。
旅行から帰ってすぐにクレジットカード会社からメールが届き銀行の残高が足りず自動引き落としが出来なくなっていると通知が来たのだ。それもそのはず、ここのところの俺は旅行に行ったり音楽機材を買ったりと出費のオンパレード。特に機材の出費はでかく、いかにベーシックインカムで最低限度の生活費が支給されようともそれはあくまで最低限度の生活の保障なので欲しいものがあれば労働して掴み取る他ないのである。
かくして俺はアルバイトをしてお金を稼ぐことになった。そのアルバイト先に選んだのがVR仮想空間Orbisの中にあるヴァーチャル空間のアパレルショップだ。就業はヘッドギアをつけてOrbisにログインし自分のアバターを介して行う。客もアバターを通して来店するが、アバターは現実の自分の体型を正確にトレースしており、ワンクリックですぐに現実のサイズに切り替えできるので正確なサイズで試着ができる。ヴァーチャル空間で購入した商品はすぐに現実の購入者の元に届けられる仕組みになっている。
俺は初日の研修をみっちりこなし2日目の今日、早速ヴァーチャル店舗に入って接客、販売をしていた。
「ありがとうございました」
接客は初めてだったが良客に恵まれすぐに商品が売れた。俺は手応えを掴んでガッツポーズをしていると先輩店員が声を掛けてくれた。
「やるじゃん羽山君。君この仕事向いてるよー」
「ありがとうございます」
彼女は榎木桃花。自分より3歳上のバイトリーダーを任されている女性で初日の研修でも手取り足取り教えてくれたノリの良いカリスマ店員だ。
「ところで羽山君ってリアルの顔とアバターの顔がほとんど一緒だよね。変わってる」
「え?なんでリアルの俺の顔知っているんですか?」
俺は驚きと共に不審の目を彼女に向ける。
「店長の個人フォルダにアクセスして君の履歴書見ちゃった。あ、気を付けてね。私と店長の間には太いパイプが繋がっているから。でもそういう関係ではないわよ」
なんと緩いプライバシー管理だろう。しかし見られて困るものでもなし、特に追求しないことにした。
「逆に榎木さんのアバターはリアルと全然違うんですか」
「少しは面影あるわよ〜。でもせっかくVR世界で自由に見た目変えられるなら自分の思い描く憧れの姿になりたいじゃん。変身願望ってやつ?」
「ああ、まさにそれなんですよね。自分変身願望っていうのがあんまりなくてその代わりに自己顕示欲が強いみたいで。その顕示したい自己っていうのがそのままリアルの自分なんであんまりアバターとリアルを分けたくないんですよね」
「いるよね〜そういう男。特にアーティストとかそっち系の人。羽山君も何かやってたりするの?」
俺は心でははにかみつつアバターでは屹然とした態度で応じる。
「バンドやってます」
「やっぱりー。そんな雰囲気出てたー」
全て食い気味に会話のキャッチボールを返してくる榎木さん。やはりこういうタイプの人が接客に向いているのだろう。
そうしているうちに一人の女性のアバターの客がやって来てすかさず榎木さんが対応する。ものの数分で上下のセットアップを購入させて満面の笑みで客を見送る。
「さすがですね。あのお客さん、ほとんど即決で榎木さんの勧めたセットアップを購入していきましたよ」
「まぁね〜。ところで羽山君、今の人男だと思う?女だと思う?」
俺は質問の意図がよく分からないままに答える。
「え、今の方って女性のアバターで女物の服買っていったし女性の方じゃないんですか?」
「普通はそう思うはよねー。でも私の見立てだと今の人多分リアルでは男だね」
自信満々の笑みで答える榎木さん。
「買っていった服のサイズが大きめだったっていうのもあるんだけど、それ以上になんか雰囲気で分かっちゃうんだよねー。男の人で女装趣味がある人って。あ、私はそういう趣味にも寛大だよ。そもそも今の時代色んな性的指向や性的アイデンティティーが許容されるべき時代だしね」
一人でうんうん頷きながら更に捲し立てるように話し続ける。
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