冬の分水嶺

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「それより聞いてよー。この間彼氏が別アカウントでアバター作ってこっそりお店に偵察しに来てさ。まじ引くわー、そういう事されると」 俺は榎木さんの話のテンションに気圧されつつ相槌を打つ。 「それはまぁ、なんとも」 「なんか怪しい感じの客だったなぁと不審に思ってリアルで彼氏を問い詰めたら白状しやがってさ〜。リアルで散々会ってやってるだろうっていうのに。あ、ところで羽山君って彼女いるの?」 俺は突然の振りに動揺を隠しつつ答える。 「いや、今はいないですよ」 ふ〜ん、と不敵な笑みを浮かべる榎木さん。 「”今は”って言ったけど今まで彼女いた事ある?」 「いや、ないです」 「やっぱりな〜。そんな気はしてた。雰囲気で分かっちゃうんだよね、わたし。ってことはチェリーか。頑張れ青少年」 肩をバンバン叩いて励ましてくるそのデリカシーの無さたるや。しかし彼女の持つ本質的な明るい性格さゆえ非難する気持ちは湧きおこらず、一言だけ忠告をしておくに留めた。 「榎木さん、そういうプライバシーに踏み込んだ発言は気を付けたほうがいいすよ。俺はそういうの気にしないんで構わないですけど」 「分かってるって。私だって無差別にこんな突っ込んだことを聞いて回らないって。羽山君ならいじっても大丈夫そうだなぁって思ったから聞いたのよ」 同じような事を尾形にも言われたが俺はそんなにいじりやすいキャラなのだろうか。さらに彼女のマシンガントークは続く。 「それより好きな娘とかいないの?気になってる娘とか?」 この質問には自分でもまだ整理のつかない感情の糸に触れられたような気がしてドギマギしてしまった。 「好きっていうか、大事っていうか、一緒にいると気分が上がるなぁーってやつならいますかね」 「面倒くさっ、それもう好きでよくない?もっと素直になったほうがいいよー。それでその娘は同じ大学の娘?」 「はい、大学の同級でバンドのメンバーです」 そう言った瞬間、榎木さんは吹き出して笑い始めた。 「ちょっ、バンド内恋愛って、それ絶対人間関係やばくなるやつじゃん。君は先人から何も学ばなかったんかい」 肩をバンバン叩いて笑う榎木さんに俺は憤慨して訴える。 「だから悩んでいるんじゃないですか。笑わないでくださいよ、もう〜」 「ごめんごめん、真剣なんだよね。詳しい状況はわからないけど究極的には自分の感情に素直に生きたほうが悔いは残らないと思うよ。それが許される若さでもあるし。頑張れ青少年。何か進展があったら教えてね。お姉さんがいつでも相談に乗ってあげるよ」 そう言うと笑いながら手を振り売り場の方へ戻って行った。俺の心の中には色んな感情が渦巻いていたけど今は仕事に集中しようと思い自分も売り場に戻って行った。
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