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時折目に入る小さな黒いのは、フライパンにこびり付いた焦げカスだ。だが支障はない。口の中で音を立てる訳でもないし、味にも影響しない。普通はあり得ないのだろうが、このラフな感じがいい。
そんなメインの肉は勿論だが、付け合わせも美味だ。そのスパゲッティを啜る。文句無し。きっとこのフライパンには、マスターの味が染み付いているに違いない。このフライパンでしか、このスパゲッティの味にならない。何の調味料が使われているのかよく分からないが、それが良い。素朴でちょっとしょっぱいところが尚更いい。スープを啜る。これも何が使われているか分からないが、コンソメスープのような透き通った色と、たまに殻ごと入っているカイワレと、玉ねぎが良い。友人は複雑な味と言ったが、まぁ分からんでもない。でも僕はこれがクセになった。
約三十年前、まだ若造だった頃。
僕は慣れないスーツを着て、こんな田舎へ営業に来ていた。当時だ、コンビニなんて無いし飯屋もない。山と田んぼだらけのこんな地に、頭を下げてニコニコとゴマをすりに来る。終わればバンのギアをガツガツ言わせ、覚えたてのタバコをふかし帰る。助手席は片付けられない書類が散乱しているし、手動の窓は煩わしいし、革靴は蒸れるし、いいことなんて何もない。
若かりし僕、とある平日もそうだった。この日は加え、空腹だった。昼飯を食い損ねていた。こんな田舎モンの客の為に、どうして片道二時間もかけて来なきゃならない。会社近くのコンビニへ寄り忘れた自分は責めない。ない方が悪い。
そんな少し遅めの昼時。渋滞していた道路から脇道に逸れた際、たまたま通りかかったのがこの洋食屋「リボン」だった。シックな建物にコーヒーの看板。こんな角っこにこんな店があったとは。迷わず小さな駐車場へ入る。
店に入るとラジオが聞こえた。洋食屋で競馬中継を聞くという訳の分からない空気に、一気にハズレを感じた。だがエプロンで手を拭きながら出て来た店主を前に、踵を返す度胸はない。店内には奥様がたが数組いて、コーヒー片手に談笑を楽しんでいた。案内された席に座る。
メニューを見る。僕はようやく気がついた。洋食とは、値段が高い。まだまだ駆け出しだった僕は、安い牛丼やコンビニの握り飯で日頃の出費を抑えていた。深い溜息をして、生姜焼きを注文する。一番安く、それでいて腹を満たしてくれる
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