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のを期待した。店主は一度厨房のカウンターに戻った後、白の小さなナフキンを持って来てテーブルに置いた。その上にナイフとフォークを並べる。
僕は首を傾げた。生姜焼きを何故ナイフとフォークで食うのか分からなかった。咄嗟に、箸はありませんかと聞いてしまう。
すると店主は笑い出した。
「ないよぉ、うちは。洋食屋だもん」
四十代前半くらいに見える男は、明らかに僕をバカにしていた。いや、絶対バカにした。思わず、は、と声が漏れる。店主はそんな僕につけ足した。
「そんなにお箸が欲しかったら、お家から持って来るしかないねぇ」
ケタケタと笑って厨房に消える。
僕は、バカにされたり見下されたりすることに、過剰な憤りを感じる人間だった。リボンのマスターは、本当に許せないと思った。こっちは金を出してやる客だぞ。なぜ質問に対して、こっちが笑われなければならないのか。
あの日は結局、ナイフとフォークに悪戦苦闘しながらも平らげることは出来た。時間はかかったが、まぁ、その。味は悪くなかった。あのクソオヤジ、いい腕をしている。だが、僕を笑ったことだけは許せない。それとこれとは別問題だ。締めに出されるコーヒーも文句なしに美味かったので、ま、うん、まぁ。そうか。
それから度々、あの田舎へ営業に出ると、必ずリボンに寄るようになった。勿論、お箸なんか持って行かない。あの男には負けたくなかった。この忌まわしきフォークとナイフに打ち勝つべく、家でも練習をした程だ。一人暮らしの荒れたアパートに、キラリと鎮座する鉄製の食用器具が、あの生姜焼きを彷彿とさせる。余計に胸を燻らせた。
仕事をしていても、僕の頭にあるのはいつでもあの田舎の客のことだった。次はいつだ、いつ向かえばいい。僕はとにかく、あの憎っくき生姜焼きを倒すことばかり考えていた。あの厚切りの三枚肉と、肉汁と、飯によく合うしょっぱいタレ。そのタレが染みた千切りキャベツ。洋食屋なので味噌汁ではなく、出てくるのは当然スープ。食後の、渋みを抑えた飲みやすいコーヒー。考えるだけで頭にきた。
だって、がっつけないのだ。ここまで言わせておいて。二種類の金属は、どれだけ頑張っても慣れないでいた。と言うか、開始から数週間後には、家での練習なんかやめていた。忌々しい。ああ、腹立たしい。生姜焼き。
リボンに通い始めて少し。そんなある日の空腹の僕、流石に生姜焼きだけじゃ味
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