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昔から支障は全くない。口の中で音を立てる訳でもないし、味にも影響しない。普通はあり得ないのだろうが、このラフな感じがいい。このフライパンでしか、この味にはならないだろう。それももう、終わろうとしている。
コーヒーを飲んで、一息つく。綺麗に平らげたプレートが、ひどく心底憎らしい。おかわりでも何でもしたいが、気持ちがいっぱいいっぱいで、いつもより腹が膨れてしまった。少しだけ店に留まる。競馬中継が聞こえる。少し経つと、また「あの鐘を鳴らすのは君だ」が流れ始める。誰だ、何度もリクエストしやがって。もう二度と、この鐘は鳴らさないというのに。
皿も下げられてしまい、いつまでもいるわけにいかなくなる。僕は、ゆっくりと会計に向かう。すると、どこからともなくトコトコと、マスターが駆け寄って来る。はいはい、お会計ね。いつものように、でも心待ちゆっくりと財布を出した、時だった。
「いつも来てくれてたねぇ」
この、このオヤジ。このマスターは、決してありがとうと言わなかった。常連には普通、言うだろう。お礼とか、お礼とか。長年の愛好家には、愛用者には、言うだろう。でも僕には、それだけだった。
いつも来てくれてたねぇ。言われなくとも通ったさ。僕は、この店の、アンタの、あの料理の。
この瞬間、この瞬間僕は、決着は、とっくについていた気がした。
「ごちそうさまでした」
僕は、深々と頭を下げたのだった。
「お粗末さま」
そう、ふふふと笑ったマスターの顔を、次のセリフを、僕は一生忘れない。
「コーヒーはね、おまけだったんだよ」
完
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