恩返し

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 汚れを拭い終えたコットンの山を手で押しのけ、依里ちゃんは私の方に顔を向けたままの格好で再びテーブルに伏せた。数秒後、みるみる涙が溢れ、一つ、また一つとこぼれ落ちていく。 「私に、こんなに好きになった人は初めてだよって言ったくせにさ。本当は――奥さん、いるんだってさ」  こないだ見せてくれた写真の男性のことを言っているのだろう。優しそうに微笑む目がどこか冷たい印象に見えたのも、今思えば偽りの恋だったからかもしれない。 「ひどいね。嘘つくなんて」  月並みな共感しかできなくてもどかしいけれど、依里ちゃんを優しい言葉で包んであげたかった。 「……ね。ひどいよね。話も合うって言ってさ、顔も好みだって。他にも……舞ちゃんには、まだ話せないような、うーん、その、大人の感性で合う部分もあってさ」  高三にもなるんだから、それが何なのか私にも理解できている。でも依里ちゃんにとっては、私はまだまだ子どもなんだろうな。 「肌が綺麗だって喜んでたからちゃんとスキンケアも頑張ってさ。マツ育だって欠かさずやって、苦手なジムのトレーニングも休まず通ってたのに」 「知ってるよ。依里ちゃんはいつも綺麗だし、頑張り屋ですごいなって思ってるよ」 「でもさ。……結局、おうちで待ってる奥さんのところに、帰ってった。私には戻る場所が、ないのに。ずるいよね。奥さんって絶対的な存在をキープしたまま、私とも付き合って、ヤバくなったら、スパンと断ち切って。絶対に逆襲なんかするヤツじゃないってわかって、バカにされてるんだ」  依里ちゃんは声をあげて泣き始めた。いつもは静かで冷静な依里ちゃんが感情をむき出しにするのは、酔っ払いの時だけだ。お酒の力を借りるのは、思いを吐き出してしまいたいからかもしれない。
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