第3章 彼でない彼

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アキトの好きだったところのほとんどは、事故があった後に消えてしまった。 それなのに、もう、俺には彼なしではダメだった。たとえ彼が植物人間になって何もできなくなっても、彼が彼である限りそばにいたかった。 結局彼がそばにいるだけで救われている。彼の1番近くで彼の日常に加わっていることが嬉しい。彼を抱きたい、という衝動は時々暴走するけれど、それでもどうにか抑えられる。今の自分は幸せだ。 アキが俺に好意を抱いていることには困惑している。 アキの中のアキトがそう思わせているのならそれはアキの感情ではないのではないか。また、アキが自分の意思でそう思っているのなら、それを受け入れたら俺はアキトを完全に失うことになるのではないか。 どちらにしても難しい問題だった。 思い出せなくなったら、それはその程度の思い出だってことだ、といつかアキトが言った。俺はアキトとの思い出を、ずっと忘れることはないだろう。 それでもその記憶はいずれ薄くなり、嫌なことが排除され、綺麗な記憶のみが色濃くなるという脚色を経る。すでにもう何度塗り替えられたことだろう。 もう二度と、雪の夜に手を握ってくれる相手には出会えない。だから、一生俺はこうやって1人で、夜が明けるのを涙を流しながらじっと待つのだ。 ふと窓の外を見ると、アキの姿が見える。 何をしているのだろうと目を凝らしてみると、マフラーも手袋もせずに雪に手で触ったり、足跡をつけては爛々と目を輝かせている。 やれやれ、と思いながらマフラーと手袋を片手にもう一度深いため息をつく。無邪気に笑う姿が子供のようだ。 どこか陰のあったアキトと違い、アキはあっけからんと明るい。本来の彼はどちらなのだろう。どちらのような気もする。 それでもスマホを片手に真っ白な銀世界をどの角度で収めようかと奮闘している姿は、少なくともアキトではない。 そしてアキトが二度と戻ってこないであろう悲しみは、アキの明るさによって幾分か和らげられているのだった。 皮肉な話だ。
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