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母は専業主婦をしており、時々工場の手伝いもしていた。
夕飯のカレーの匂いを嗅ぎながら、陽一は二階の自室に入った。
スーツを脱ぎ、私服に着替える。
「スーツってどうしてこう動きにくいんだろうな?」
五年も着ているが、未だに慣れていなかった。
高校を卒業してから大学へは行かず、この土地に家族三人で越してきた。
本当は行く大学は決まっていた。準備もしていたが…。
「羽月…」
机に置いた写真たてを手に取り、陽一は深く息を吐いた。
写真に写っているのは二人の男子高校生だ。
一人は陽介。人懐こい笑みを浮かべている。
そしてもう一人は茶色の髪と眼を持ち、ふんわりと笑う―羽月だった。
二人とも真新しいブレザーの制服を着て、満開の桜の樹を背景に笑っている。高校の入学式に撮った写真だった。
二人で撮った写真はまだたくさんある。けれど陽一はこの写真が一番気に入っていた。
「…この頃が、一番楽しかったのかもな」
ぽつりと呟き、写真たてを持ちながらベッドに腰を下ろした。
この頃はまだ、二人は幸せだった。何にも考えず、二人で一緒にいることが普通で当たり前、そして楽しいことだった。
それが崩れたのは…いつのことだったか。
「少なくとも、この頃はまだ大丈夫だったよな」
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