第55話 急襲

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第55話 急襲

人通りの途切れる事のないへトキアの職人街。 買い物客よりも商談や取引きに訪れる商人の姿が目立つ中、眼前で揺れる胡桃色の髪に困惑の視線を落とす若い男の姿が。 頭に手拭いを巻き、一見して職人だと分かる身なりの男は、鍛冶屋の店先で頭を下げる少女の粘りに困り果てていた。 「いやいや、何度も言ってるけど明日までになんて無理だって!」 「それじゃ明後日の朝までではどうですか?朝一番の乗り合いで町を発つので、それまでになんとか…お願いします!」 サキさんから見せられた小石、これと同じ位の大きさの金属の球を手に入れて欲しいと頼まれていた。 特に急ぎではない、とは言われたけど… これから寄る町に鍛冶屋があるかも分からないし、行程を考えても、この町で手に入れた方がいいと判断、 二人と別れてから一度商会に戻り、カルロさんに相談した後で直ぐに職人街へと足を向けた。 サキさんが望んでいる金属の球は武器として投げて使うらしく、今使っている小石だと強度が低い上に、大きさや形が不揃いで狙いがつけにくいのだと言う。 モンテを救ってくれて、お父さんの仇を討ってくれて、吸血鬼から助けられ、 リタはしてもらうばかりで…何の恩返しもしてあげられてない。 でも、こんな事で恩返しになるなんて思ってなくて、ただサキさんの役に立ちたくて、力になるって、そう決めたんだから… でも…上手くいかない、 リタも商人の端くれのつもりだけど、知識も経験も足りなくて…交渉にも漕ぎ着けない。 アリーシャさんさんなら、今ある仕事より優先して作ってもらう交渉材料をすぐに思い付くのかも知れないけど…リタには… 「お願いします!」 カルロさんに教えてもらったへトキアで一番腕の良いと言うこの鍛冶屋で、今は頭を下げる事しかできない… 「あのね…型作りからしなきゃなんだから、いくら取引のあるステラ商会の人だからって無理なものは無理で…」 「なんだぃ、さっきから騒々しい。」 薄暗い店の奥から強面の中年の男がのっそりと姿を表す。 その鋭い視線とまくり上げた袖からのぞく太くごつごつとした腕を目にして、表情を引き締めるリタ。 「親方…少し困ってまして…」 「奥まで聞こえてたよ。ほれ、あの車軸の、在庫あったろ。」 「え?ああ、それならありますけど…」 「使う金属の指定は無さそうだし、大きさも丁度いいんじゃねぇのか?」 「あっ…確かに!」 「あ、あの…?」 話しに入り込めす置いてきぼりにされてるリタは、二人の顔へ交互に視線を送りつつ戸惑いがちに声を掛ける。 「おぅ嬢ちゃん。金属の球、今から作るってのは無理だがよ、その手に持ってる石くらいの大きさのが欲しいんだろ?亀車の部品なんだが、急な修理にも間に合うように多めに在庫抱えてんだ。幾つか種類があるから合いそうなやつがあるか見ていくか?」 ────────────── 川と山に挟まれた薄暗い平原を走る一人の女、 まだ日は落ちたばかりで、茜から藍色に変わりつつある夜の空に星が瞬くまでにはほんの少しだけ猶予があるとは言え、足元も不確かな不整地を亀車にも匹敵する速度で、飛ぶように、女は駆け抜けている。 ─と、 女の左前方で、岩が爆ぜた。 女の背の高さ程ある岩の先端、子どもの頭程も砕け散った岩の破片から顔を庇いつつ、目だけで後方を確認する女の視界に、猛然と追い縋る黒髪の少女の姿を捉えた。 「止まれ、次は外さない。」 脅すでも声を荒げるでもなく、淡々と放たれた警告に僅かに目を剝く女。 今のは、外れたのではなく、外したのだと、言い放たれたその言葉に誇張は感じられず、次は確実に体の一部を吹き飛ばすと宣言された女は、 走る速度を上げ逃げに徹するのかと思いきや… 「怖いなぁー降参、こうさーん」 急制動をかけ踵を返すと両手を上げ、敵意が無い事を示しながらも、視線は三歩分の距離を保ち警戒の目を向ける少女の手の中の物に向けられていた。 「岩を砕いたのはそれね?戦鎚くらい威力があるんじゃないの?凄いわー」 手を上げながら指差した少女の手の中で二つの金属球が擦れ合い、嫌な音を立てた。 「お前は誰だ?」 無用な会話を拒絶する黒髪の少女の問い掛けに、ノーマの顔をした人物は、口元に不敵な笑みを貼り付かせると、もう用は済んだとばかりに降参の姿勢を解き芝居じみた仕草で、 「知ってるでしょ?私はノーマ。病気の祖母のために薬を取りに戻る途中の町娘で──はいはい、それは嘘。」 金属の嫌な音を捉え再び両手を上げたノーマだが、そこには緊張の欠片もなく、むしろこの状況を楽しんでいるようにも見える。 「正体はヒミツ…だけど、少しだけ教えてあげる。別に途中でノーマに成り代わったんじゃなくて、元々だから、そこは心配しなくていいわ。後は…近付いた理由はね、ただ一緒に旅をしたかっただけなの、女の子だけってなかなかないじゃない?冒険者の子も増えた事だし、一緒に行けたら楽しいかな?って。本当よ?何の企みも無いんだから。」 「疑わしい相手を信じるわけにはいかない…ここで動けなくする。」 「ちょっと酷くない?せっかく教えてあげたのに、さっきだって腕痛かったし、私、一応恩人よ?」 「恩人…?」 構える少女に対し金属球(それ)は不要だと手で制すと、見せつけるように自らの頬をなぞり、首筋で指を止めるノーマ。 「吸血鬼の毒牙から救ってあげたでしょ?」 ── ─ あの時…吸血鬼ギーゼラに囚われたとき、朦朧とした意識の中で誰かがいた気配は確かにあった。 それが、ノーマだと… あの場にいたのは、リタを抱えるオノーレ、私とギーゼラだけだったはず、 他に気配は無く、野営地からはかなり離れていて… いや…この女の速度ならあのタイミングで辿り着く事も可能か…しかし、どうやって… 「狂暴で残忍な吸血鬼からどうやって助けたのか?それもヒミツ。でもね、助けてあげたのは本当よ?危なかったわねーもう少しで首筋を噛まれて吸血鬼の仲間入りするところだった。」 人の考えを読んだような物言いに眉を顰める。 確かに、あの魔力切れの状態で拘束を振り払う事はできず、首筋に牙を立てられていたのだろう…助けられたのは本当なのかも知れないが、だとしても、 「一緒に行く事はできない。」 怪しすぎる… 態度や仕草、声までもがまるで別人、成り代わった訳ではないと言っていたが、演技でどうこうなるようなものではないように思える。 素性は分からず、人を遥かに超える身体能力に灼けた鉄のように発熱する腕…そんな女と一緒に行けるはずがない。 そして…このまま野放しにはできない。 「素性を明かさないのなら─」 「明かすつもりはないわ。」 手首のスナップと共に鳩尾へ向け放たれた金属球、岩を砕いた時よりも加減が加えられているとは言え、至近距離から放たれたそれを、 ステップを踏むような軽やかな足捌きで避け、間髪入れず顔面へと放たれた拳をも難なく躱したノーマが、すれ違いざま耳元で囁く。 アマテラス── 細い首筋に打ち込む手刀を寸前で止め、目を見開く少女の表情に、ノーマは唇の端を吊り上げほくそ笑む。 「情報が代償、それで旅に同行してもいいかしら?条件を飲まないのなら何も教えてあげなーい。痛めつけられても話す気はないし、殺したらそれこそ、何も分からなくなるわねぇ。」 「何を知って─」 こちらの言葉を遮るように薄い唇の前に人差し指を立てるノーマ。 そのまま、ゆっくりと、自らの後方に指先を向け、何も無い平原を指し……違う、 遠く、明かりの灯る町を…? ─! 全力で駆け戻る黒髪の少女とは対象的に、ゆるゆると、夜の散策を愉しむように町へと足を向けるノーマ。 昇りつつある僅かな月の光を受け浮かび上がったその表情は、恍惚に歪んでいた。 ──────────── 「いらっしゃいま─」 ケス川から揚がる川魚の料理が人気を博す、宿場町の中で最も繁盛している一軒の飲み屋。 その入口から入ってきた魔術師のような出で立ちの人物に声をかけた女性店員の顔面に拳がめり込んだ。 頭の中身を熟れた果実のように漆喰の壁にぶちまけ、首から上を失くした体が床に崩れ落ちると同時に、店内は悲鳴で充満する。 突然の惨劇に対処できる者など一人も無く、全員が全員、衝撃を受けたまま身動きできないでいる中、蛮行に及んだ人物が、動く。 店の入口から一番近い席に大股で近付き、啞然と固まる若い男に拳を振り下ろし頭部を潰したのを皮切りに、恐怖に突き動かされ逃げ惑う人々の背中に容赦のない拳を叩き込む。 老女の背骨が枯れ枝のようにへし折れ、それだけでは殺しきれなかった衝撃が臓器、胸骨をも砕き胸を突き破り床材を赤く染める。 返す拳が若い男の脇腹を抉り飛び出した桃色の腸と共に柱に激突し昏倒する。 三十人はいる客のうち、裏口に気付いた数人が 厨房の方へ殺到するも、血塗れの厨房に立っていた大柄な男の蹴り受け、内臓を撒き散らしながら客席の壁へと跳ね返された。 「か、金か!?金ならいくらでも─」 金品を狙った賊の類だと推測したのか、いかにも裕福そうな身なりの中年男性は、恐怖に裏返った声を必死で絞り出すも、返答の代わりに突き出された拳が男の額を捉え頭蓋を割る。 頭部から盛大に血を吹き出し絶命する男には目もくれず、まるで作業でもこなすように淡々と殺人を続ける黒尽くめの二人。 「何をやっている?」 店内に足を踏み入れたグルスは、外套のフードを上げると、不機嫌さを露わにした視線を二人に投げつける。 「ベナグリアから聞いていないのか?狙いは魔術師一人だ。この町にいることは間違いない、それを探し出し仕留めるだけでいい。」 「まどろっこしい、全部殺ればいいんだろ?」 苛立たしさを隠しもせず、フードを跳ね上げた褐色の肌の若い男が、はみ出た腸を引きずりながら出口へ向け床を這いずる若い男の首を踏み潰す。 「そもそもお前らの尻拭いだろ?これ。やってやってんだから好きにやらせろよ。」 両方の逃げ道を塞がれた生き残った客達は、店の隅に追い詰められ恐怖に震えながらも、死体の散乱する血なまぐさい店内で世間話でもするような二人の異常さに慄く。 唐突に、話しをしていた男の一人が足を振りかぶり、足元の死体を蹴った。 凄まじい勢いで床と平行に客席を飛ぶ死体は、椅子やテーブルを巻き込みながら生き残った者達へぶつかり爆散、 店の壁をも突き破り中央通りへ飛び散った骨や肉片は、もはやどれが誰のものなのか判断がつかない程木っ端微塵になり、それをまともに浴びた通行人達は理由も分からないまま息絶えた。 「ラドニス!待て!」 グルスの静止も聞かず壁に開いた穴から通りへ飛び出す男、何が起こったのかと遠巻きに様子を覗っていた通行人達を手当たり次第に殺し始めた。 その様子を目にしてグルスは重い溜息を漏らす。 こいつだけじゃない、 町のあちらこちらから聞こえてくる破壊音や悲鳴から、ラドニスの部下達も町の中に散らばり好き勝手に殺して回っているようだ。 狭い町だ。 既に多くの者達が騒動に気付き、窓や扉の隙間から怯えた表情で通りの様子を伺っている姿が見える。 『こんな派手にやって、標的が逃げたらどうする…!』 案内役として魔力の残滓を追ってきた。 この町の外へ辿り着いた段階でベナグリアから急遽討伐役の交代を伝えられ…どうもそれは、ジルジ族族長ベルカノの指示であるらしい… 『どういうつもりだ…』 ジルジ族は己の肉体のみでの戦闘技術を極める事を誇りとしている。 ラドニスという男も例に違わず武器の類は使わず、そして同族の者と同じく、血の気が多い。 「まあいい…俺は俺の役目を果たすまでだ。」 一旦ラドニスと別れ魔術師の捜索に向かおうと町の山側へ足を向けたとき。 「そこのお前!止まれ!」 槍と金属の鎧で武装したこの町を警備する兵士と思われる五人の男達が、グルスを取り囲む。 「剣を捨てろ!鞘ごとだ!」 舌打ちをしながらゆっくりとふり向くと、腰に携える剣の一つを抜き放つグルス。 「何をしている…!剣を捨てろ!」 「黙れ、邪魔をするな。」 「やれ!捕えろ!」 突き出された穂先を薙ぎ払い剣の間合いに飛び込むと、無造作に振った剣先で一人の首を切り裂き奪った槍を兵士達に投げつける。 金属の鎧をやすやすと貫き崩れ落ちた一人に止めを刺した瞬間、二本の槍が背後からグルスを貫いた。 「一気に畳み掛けろ!」 一つは深く もう一つは浅い 浅い一つを、肉が抉れるのもお構いなしに振り払うと、深い一つは、もっと深く、体を突き抜け串刺しになっても踏み込みを止めず、呆気に取られ槍を手放せないでいる若い兵士の首を刎ねる。 「な、なんだコイツは!?化けも─」 隊長と思われる男と、もう一人の兵士の頭上から拳が落とされ、兜ごと揃って頭を潰された兵士達の後ろに、店の中で見かけたジルジ族の大柄な男が立っていた。 「行け」 「ああ」 黒い靄を一瞬纏い傷口を塞ぐと、剣を納め町の山側へとグルスは向かう。
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