0人が本棚に入れています
本棚に追加
夜、お嬢さんと散歩してどっかの雑居ビルの非常階段でお弁当を一緒に食べてました。オレはお嬢さんにぞっこんで、お嬢さんはそれを知ってか知らずかオレを掌でころころ転がしてくれます。
残暑も大分退いたころ。気温の低下とともに馬鹿なトンキチや阿呆な走り屋も減ってきました。やつらの習性はゴキブリと同じだと思います。
お嬢さんはお家の人の目を盗んでときどきお弁当を作ってくれます。たいてい明日のお弁当の下ごしらえのついでに作ってくれます。味見というか毒見を兼ねているような気もしますが、食べ物をいただけるのはオレにとってはこの上なくありがたいことなので特に不満はありません。
オレがお弁当を食べている間、お嬢さんは大きなえんじ色のストールをぎゅっとまとい、足元に寄ってくる冷気を楽しんでおりました。「もう秋がきますね」とお嬢さんは言い、オレの頭をぽんぽんと軽くたたきます。オレは食べ物を飲み込むのと息をするのとがばらけてむせてしまいました。
「食事中に頭はさわらんでください」
咳きこんでいるオレをみてお嬢さんはふふふと笑います。
俺が食事を終えた頃、お嬢さんは魔法瓶に仕込んでいたコーヒーを付属のカップに注ぎ、それを両手で大事そうに抱え、湯気の流れと香りを楽しんでおりました。長いまつ毛についた湯気が水滴となって目元をきらきらと輝かせていました。
「ごちそうさまでした」
オレは空っぽになった弁当箱を彼女に返しました。お嬢さんは夜空の観察に取り掛かっているご様子です。オレも彼女に倣い、ふたり並んで夜空の観察をすることにしました。東の空をみるとそこにはオリオン座が見えるようになっています。出会って間もない頃、「あれをみるともう秋だとわかります」とお嬢さんはオレにオリオン座を教えてくれました。他にもいくつか教えてもらったのですが、オレが覚えたのはこれくらいです。
「あれをみるとヨーグルトの箱にあるトクホのロゴを思い出します」
オレがそう言うとお嬢さんはいつも笑ってくれます。「ヨーグルトなんて食べるんですか」お嬢さんはオレにたずねますが、オレは「食べるとお腹がゆるくなります」と返します。お嬢さんはいつのまにかストールをオレの肩にもかけてくれていました。静謐な時間です。オレにはもったいない贅沢な時間の使い方です。ふたりの体温が、食事が、コーヒーが寒々しい非常階段の一角を温めています。
最初のコメントを投稿しよう!