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第一章
まだ冷たい風が吹く三月。もうすぐ四月になるころ、早川家では、今日もまた新しい一日が始まろうとしていた。
* * *
午前五時半。
早川家の次女・あかりは、昨夜からあまり眠れていない状態で朝を迎えた。スマホをいじってみたり、音楽を聞いてみたりしてもなかなか寝付けなかった。
じっとしているのにも限界があった。あかりは体を起こし、リビングへと向かった。リビングとつながるカウンター式のキッチンには、母である麻里子がせっせと四人分の朝食と、二人分の弁当を作っていた。
「おはよう。お母さん」
「あら、あかり。早いわね。また眠れなかったんでしょう?」
麻理子は呆れたように笑いながら言った。あかりは苦笑いして肯定の返事をしながら、リビングの壁に貼られたカレンダーを見た。今日の日付の枠を、指でなぞりながらため息をついた。
「ついに今日が来た……」
カレンダーの枠には『あかり、合格発表』と書かれてある。カレンダーを見つめるあかりの元に、パタパタとスリッパの音を立てながら麻理子が歩いてきた。そして、微笑みながらあかりの背中をポンポンと優しく叩いた。
「でもあかりは、やるだけやったじゃない。あのときの自分を信じて。お母さんは大丈夫だと思うわよ」
麻理子の言葉にあかりも頬を緩めて、ありがとうとお礼を言った。
今日はあかりが二月に受験した、看護師国家試験の合格発表の日だった。二月に受験を終え、三月の始めに看護学校を卒業したばかりだった。この試験に合格していれば、晴れて看護師となり、仮内定をもらっていた総合病院に本格的に内定が決まる。
世間で看護師国家試験は合格率約九十パーセントといわれている。あかりは、試験後に自己採点をしていた。そのときは、予想されていた合格点数をわずかに上回っていた。しかしながら、試験を受けた張本人であるあかりにとって、正規の合格発表はとても恐ろしいものだった。
「あかり、ちょっと来なさい」
キッチンに戻ろうとする麻里子があかりの手を掴み、二人でキッチンに足を向けた。そこには、甘くて美味しそうな匂いが広がっていた。あかりは、この匂いが大好きだった。
「ほら、あかりの好きなホットケーキ。焼き立てよ」
麻里子はそういって形が崩れて焼けたホットケーキを、小さな皿にのせた。
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