第一章

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 蝉が謳う。その狂おしいまでの生命への賛美に、翔は耳を傾けた。    生きたい。  暗闇から抜け出し、輝く陽の光の下で、僕らは生きている。  最期の最後まで、生きるんだ。 「うるせえ」  翔の心ない一言で、蝉の声が一瞬止まり、また再開する。  心を澄ませば、生への大合唱だが、現実にはただの騒音だ。もう少し耳当たりのいい声で鳴いてくれればいいものを、ミンミンとうるさいことこの上ない。しかも今年の夏は例年より蝉が多い。山の麓の田舎のど真ん中では尚更多く、音は響く。  翔は、家の門扉前の低い階段に腰掛けながら家の前を通る坂の、上から下、下からまた上へと視線を移動させていた。それを繰り返してから、足元に置いていたペットボトルの蓋を開け水を飲む。凍らせておいたのだがとっくに氷は溶け、ぬるくなっている。喉を伝う不快感にうんざりしながらも、翔はその場を動かない。庭の金木犀が木陰を作ってくれていなければ、すでに翔は倒れていただろう。それぐらい暑い。  ありがとな、と翔は心の中で呟く。それに応えてか、金木犀が風もないのに微かに揺れた。    今年一番の猛暑と言われる日、翔が家の前で一日中座っているのには理由があった。
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