Chapter 5

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“スピア班”としての活動は、主に貴族主宰の夜会やら晩餐会への参加であり、そうした行事がまったくない日が続く事もあれば、逆に数日間連続する事もある。 連続で同行したところで、英雄アデル・リュークヴィストに対しての想像を絶する緊張感は解ける事がなかった。 決して恐ろしい人ではない(いつも仏頂面だが)。威圧的でもない(口調は荒っぽいが)。だがそこに付随する「英雄」や「凄い兵士」という肩書きが、新兵を震え上がらせるのだとイリヤは思う。 (でも、そういうのを抜きにしても、この人の前だとすげぇ緊張する……) 近くにいるだけで、息をする事さえ憚られる。無意識に鼻息が荒くなっていたらどうしよう、鼻の穴が思いきり膨らんでいたら恥ずかしい、などと余計な事を考えてしまうのだ。その為いつも、浅く速い呼吸になってしまう。 この日も夜会からの帰りの馬車で、イリヤは不自然な呼吸に喘いでいた。 そろそろ夏が訪れる季節である。無駄に存在を主張する心臓に呼応するかのように、脇の下に嫌な汗が溜まる。 (ヤバイ……俺いまたぶん汗臭い……) 汗の臭いを英雄に嗅がせるなどもってのほかである。落ち着け、落ち着けと必死に自分へ言い聞かせるが、かえって汗の量が増してしまった。 だが当の英雄は、実に涼やかな顔で窓の外を眺めている。森を切り開いて造られた1本道、月明かりにぼんやりと浮かぶ木々と相俟(あいま)って、英雄の周囲にだけさらさらと涼風が吹いているようにさえ見える。
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