それぞれの想い。

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 それ以降は責めることだけになったので頭痛はなくなったけれど、冷たい視線はそのまま。  また彼らに会えば自業自得とは言えまた罵声を浴びせられる。  彼らが責めるのは分かるしそれを止める資格は俺にはない、だから、聞こえないふりに徹した。  俺のせいで両親は亡くなったと聞かされ、俺は2人を忘れてしまった現実さえどうしていいのかわからず、それを受け入れる時間もないままに責められる。  責める言葉をまともに聞いてしまえば、きっと壊れてしまうと無意識に防衛していたんだろうか。  壊れないように聞かないようにするのは身勝手かもしれない、それでも、そうしてないと生きていけないと思った。  退院した後祖父の家に来て、記憶喪失ではあるが最低限の学力や日常生活に支障はないと分かるやいなや、すぐに小中高一貫の神丘学園と言うところへ編入した。  そこは中高は全寮制で、……俺と顔を合わせたくない、と言うことだったんだろう。  当時はまだ小学校4年生だったのでどうしても初等部は祖父の家から通った。  家に帰れば祖父から無視かたまに記憶は思い出す気になったか、と聞かれるだけ。  それに首を横に振れば舌打ちされた。     
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