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窓から差し込む西日に耐えかねて、早坂はカーテンを閉めようと席を立った。校門前のコンビニのネオンが早くも点灯している。そろそろ生徒を家に帰してやらねばならない。
「みんな、そろそろ今日は終わりにしろよ。暗くなる前に帰るんだ」
教室全体に聞こえるような声を出したつもりだった。しかしこの喧騒の前にあえなくかき消されてしまった。
教室に模造紙が広げられている。ポップな書体で「2018年 丘陵公園への道」と書かれている他は、鉛筆で薄く下書きがされているのみ。十数名の生徒たちがペンや定規を片手ににらめっこしている。さながら軍人たちが戦争の作戦会議をしているようにも見えるが、局面は先週からちっとも変わっていないようだ。
「確かこの竹やぶの中にでっけーカエルいたんだよ。健二、絵描いてくれよ」
「ちょっとやめてよ、気持ち悪い。そんなの見たいって人いるわけ無いじゃん」
「ねえチカちゃん、休憩した所に星のシール貼っていい?」
「バーカ、シール貼ったらもう取れねーじゃん。やり直しになったら模造紙ベンショーしろよ、ベンショー」
「斉藤くん、言い方っ!」
侃々諤々の議論はずっと続いている。戦いはずっと紙面外で繰り広げられるばかりだった。
早坂が小学校の先生になって二年目の秋だった。右も左も分からぬ去年を乗り越えたことで自分にも少しは実力がついたと思っていたが、甘かった。「新人」という免罪符のおかげで失敗も甘えも許されていただけで、いざ自分一人で生徒たちをまとめようとしても一向に上手くいかない。先月の遠足で体験したことをクラスの皆でまとめて校内に掲示する、その締切はもう来週に迫っている。「元気があって大変良いじゃないか」と自分を謀るのもそろそろ限界に近づいていた。
午後五時のチャイムが鳴り響いた。騒ぎが収まり、皆の視線が黒板上の時計に集まる。
「みんな、そろそろ今日は終わりにしろよ。暗くなる前に帰るんだ」
もう一度早坂はそう言った。今度は皆に届いたらしく、「はーい」とそろった返答があった。
「どうせなら意見の方もそろえてくれよ」
聞こえないようにそうつぶやいて、早坂は教室を後にし音楽室へと足を向けた。
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