第1章

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 午前中からあたしはおつりを落っことしたり、パンを落っことし(危ないところでキャッチ)そうになったり、トレイを落っことしたりして、曽根崎さんを困らせた。優しい先輩を困らせて、心がちくちく痛む。  あんなも珍しくオーダーを聞き間違えたり、エースも焼きたてパンを違う籠に入れちゃったりしてたから、気にはしているのだろう。  お昼の一番混んでて、あたしがカフェにいるとき、とうとうそれは起こった。  「お待たせしました」  日替わりランチプレート(今日はロールキャベツ・トマトソース)をテーブルに無事置いて、ほっと顔を上げたとき見えた。  そんなに広いカフェじゃないけど満員だ。いくつものお客さんの頭の間、細いスペースの中で、バゲットがかすかに、けれども確実に、ゆさ、ゆさ、と動いている。  胸のどきどきが急に早くなる。  ここからじゃ、バゲットのてっぺんしか見えない、息を殺して、そうっと近づこうとしたけど、  「すいません、お水くださる?」  隣のテーブルに呼ばれてしまった。  「は、はい」  ひきつる笑顔で返事して、カウンターに水のポットを取りに行く。  グラスに水を差してから顔を上げたら、バゲットたちはすっかり静まり返っていた。  けれど、やっぱり籠はずいぶん端に寄せられていた。  あんなとエースを目で探すけど、ふたりはいっしんに働いている。あたしもお客さんに呼ばれて、その場を離れられない。  やっと上がりになって、更衣室に入ってもあたしはまだまだどきどきしていた。  後から来たあんなに話したら、あんなは首を横にふった。  「あたしは見なかった、動いてるとこ」  「そっかあ……あたしも、籠を持ってる手とかは見えなかったんだよねえ」  着替えてお店から出た。  裏口で待っていたら、少ししてエースも出てきた。顔を赤くして、ちょっと興奮している。  「おれ、見た、見たよ」  「「ほんとっ?」」  あたしとあんなはユニゾンで叫んだ。  「女の人……おっかあくらいの歳の、うっ」  あたしは思わず、エースの胸ぐらをつかんでゆさぶる。  「どんなどんなどんな、人?」  「いや、なんかフツーの人、そこらのスーパーとかにフツーにいる感じ、ごほっ」  エースはせきこみ、  「みずき、落ち着いて」  あんながあたしの手をはずさせてから、そっとエースの顔をのぞきこむ。
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