第1章

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 「おっと、熱いよ、気をつけて」  小さい子にするみたいに、カイはエースの腕をつかむ。  「これはサモアルだよ。ロシアの湯沸かし。さっき炭をセットしたから、中は熱湯でいっぱいだ」  後半、姿が見えないと思ったら、そんなことしてたんかい……あたしはあきれたけど、みんなは興味しんしんだ。  カイの荷物は四次元ポケットみたい。リュックから、赤白チェックのテーブルクロスやポットが、四角いカバンからはほうろう製のカップや皿、スプーンなんかが次々に出てくる。  「わあ、きれい」  あんなが歓声を上げる。  カイが赤や黄色やオレンジ、色とりどりのびん詰を取り出して並べる。  「ロシアではジャムをなめながら紅茶を飲むんだ。濃いからサモアルのお湯で好きにうめてね」  「なにその、すてきにけしからん風習」  あんなは深いピンク色のびんを取り上げた。  「これは何のジャム?」  「薔薇さ」  「きゃっ」  両手でほっぺをおさえて、もう少しでジャムのびんを落っことすところだった。あんなは何か、彼女基準の「すてきなもの」に出会うとこんな反応をする。  「冷えたコーラないの?」  夏休みの、それも重労働あとの中学生としてとてもまっとうな、あたしの意見は無視された。  そんなこんな騒いでいたら、きさらぎ荘から何人か出てきた。お菓子や冷たい麦茶やレモネードを持ってくる人もいて、ちょっとしたパーティーみたいになった。  「お騒がせして、どうも一日ご迷惑をかけました」  カイが道路工事の看板みたいな口調で謝ると、  「いいええ、こんなに若い人がいると、空気だけでも華やぐわあ」  上品な白髪のおばあさんが優雅に微笑む。  赤ちゃんを抱いた若いおかあさんもにっこりする。  「ここ蚊がうんといたのよね、すっきりしてもらってうれしいです」  その足元では、小さいきょうだいがクッキーをとりっこしている。  ジャムのスプーンをくわえたまま、エースがあたしにささやく。  「おまえのカレシすげえなあ」  「……カレシじゃないよ。変人なだけ」  あたしはむっとふくれたけど、夕焼け空にひるがえる緑のネットを見上げた。うっとりしてしまう風景だ。  「でも、エースありがとうね。こんなすてきな練習場、校庭よりか上等だよ」  「俺は私利私欲だ。でも、女子部ができたらここで練習できるな」  「できるかなあ……練習じゃなくて、女子部が……」
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