2人が本棚に入れています
本棚に追加
五月晴れという言葉の似あう土曜日の午前十一時、朝食兼昼食を食べに入った牛丼屋で、隣の席に座っていたカップルの女が唐突に「あ、トム・クルーズだ」と言った。
―――うん?
聞き間違いにしてははっきりし過ぎていたその言葉に、こっそり彼女の視線を追う。その先にいたのはちょうど店に入ってきた客だった。穿き古したジーパンにロンT姿の5、60代のやつれたおっさん。当然純粋な日本人顔で、いたって特徴のない見た目をしている。
「ほんとだ。いつものニコール・キッドマンも一緒だね」
今度はカップルの男が言う。これも聞き間違いのしようがないほどはっきりと。おっさんの後ろから店に入ってきたのは、連れらしい同年代の髪の色がやたらと派手なおばちゃんだった。
郊外の国道沿いの牛丼チェーンに、休日の朝から牛丼を食いに来るトム・クルーズとニコール・キッドマン?
意味が分からなくて首をひねっていると、俺の前に座って牛丼をかっこんでいた柿田と目が合う。どうやら同じ会話を聞いていたらしい。
「―――さっき隣のカップルが喋ってたこと、意味わかった?」
牛丼屋から柿田のアパートへの道を歩きながら俺が聞くと、柿田は首を振る。
「俺もあれから気になってずっと聞き耳立ててたんだけど、全然駄目だった。唯一聞き取れたのは、『あの人たちは、ハリウッドから来て、ハリウッドに帰って行くんだよ』っていう言葉だけだったな」
「うーん、何かの隠語かな」
「なに、ワタル、ミステリ好きの血が騒いじゃうわけ?」
「うるさいな、読書嫌いの柿田には分かんないよ」
柿田は笑う。
「俺だって読むよ、マンガだけど。……じゃあさ、あのカップルの素性について、ワタル先生の推理は?」
俺はわざとらしくコホンと咳をした。
「あの二人は、今日と同じく週末の午前十一時頃にあの牛丼屋によく出没する。男の方が、おそらくこの近所に住んでるんだと思うね。彼女が、髪形とかメイクの雰囲気と違う男物っぽいだぶっとした服を着てることが多いのは、たぶん、彼氏の家に彼女が泊まりに来て、部屋着代わりに彼氏の服を借りてるからだ」
「おー、つまり、うちと全く一緒の状況ってことだな」
「うるさいな、だから分かっただけだよ、どうせ」
「いや、感心したんだって、ほんとに」
柿田はそう言って笑って、さりげなく俺の手を握った。人目のないこの裏路地でだけ、俺たちは手を繋ぐ。
最初のコメントを投稿しよう!