笑美と私

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 私を引き取ってくれたパトロンのお客さんは、やがて私の料理の師匠となった。  私のつたない言語能力を笑いながら、話せるようになるまでみっちり稽古をつけてくれた。この時、言語の師匠となった人は私にこう言った。  「母国の言葉を使おうとせず、この土地の言葉で話すようにしなさい。お前なら大丈夫、すぐ話せるようになるからね」  厳しくも優しいその言葉に従って、私はその日から今日までほぼ母国の言葉を使うことはなくなった。  この頃、私は笑美との連絡を絶つための最後の手紙を送った。仕送りも、彼女の経済的な負担となるためやめてもらった。  言語獲得のため。  一度落ちた地獄から這い上がるため。  そう手紙に書いて送ったのがこちらから接触した最後。  「応援しているね」  短い文字と、笑顔で手を振る彼女の写真が入った手紙が、彼女からの最後の連絡となった。  写真の中の彼女のお腹が膨らんでいること、ちょっと頼りない男が笑美を支えて幸せそうに微笑んでいるのを見て幸せを感じたものだった。
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