祖母と私

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 祖母の背中を見るのはなにもお風呂に行ったときだけでない。祖母がキッチンに立つ時など、よく祖母の後姿を眺めていた。お盆はそうめん、年越しは年越しそばを祖母は作るため台所に立つ。  私はぼんやりと祖母の後姿を見る。手際よく料理をする祖母。しわしわの手を器用に動かし、水道の蛇口をきゅっと捻り、水を流す。祖母の手が水にあてられる。夏は気持ちのよさそうな手も、冬場の台所では冷たそうだ。瞬時に赤くなる手にどのくらい冷たいかを知るのは想像にかたくない。  せっせとそばを茹で年越しそばにのせる具材を煮ていく。ぬっとりとした年越しそばのつゆの匂いがすぐさま部屋の隅々に行き渡らせる。  もうすぐ見たいテレビが始まる。騒がしくがなりたてるテレビ。お酒を呑む父と祖父。母は祖母の隣でつゆを注ぐ。炬燵はぬくぬくとしていて、瞼が閉じられていく。眠気とつゆの甘美な匂いにほだされる。  母と祖母の背が見える。  ーーお母さん、そちらは砂糖ですよ。お塩はこちらです。  母が指摘し、祖母は慌てて塩を手に取った。塩も砂糖も似ているが、どちらの容器にも名前付きテープは貼られていて、祖母が見間違えるには不自然に感じた。  酒を呑みかわす、会話が遠くから聞こえてくる。私は背中を見つつうつらうつらと炬燵の中に入りだした。亀の甲羅を背負ってるみたいに炬燵を背負う。  ーー最近あいつもボケてきてなあ。  ーーもう母さんも認知症になってもおかしくないからな。ほら最近問題になってる、徘徊ってやつになると、流石に親父一人じゃ母さんの面倒も見れないだろ。  ーーわしももう年だし、ボケてきてもしかたない。『その時』になったら覚悟をしなければならないな。  『その時』とはいつだろうか。数年先だろうか。それとももっと先だろうか。もっと近くかもしれない。  薄ぼんやりとした視界に映る祖母の悲哀に満ちた背中は光をはらむ。しかし、それは懐中電灯が照らすしっかりとした光ではなく灯篭のようなぼやぁとした乱反射した光で、母の強い光の横で小さく点っている。炬燵の中でふっと吹けば、祖母の光は揺らぐ。  祖母の光はどんどん小さくなっていった。
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