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駅の改札を飛び越え、男たちはスラム街へと向かって走っていく。
「こらッ!!待てッ!!」
現地語でないかぎり、雅の叫びの意味など、彼らが理解することはないだろう。
尤も、理解できていたとしても、窃盗という犯罪を犯していてホイホイ止るはずもない。
だんだん細い路地へと入っていけば、トタン屋根の粗雑な造りの家屋が幾つも立ち並ぶスラム街へと、景色が変わった。
これ以上、追うのは危険だろうか。
彼らの背を追いながら雅の脳裏に不安がよぎった。
そんな彼の姿を、偶然運河のカヌーに揺られながら見つけた、一人の男がいた。
男は突如カヌーの船底を蹴飛ばし、岸へと跳び移った。そして彼も、トランクを抱えて逃げる二人の男を追いかけた。
「Ne vole pas les bagages du touriste!(旅行者相手に盗みなんかやめろ!)」
「C'est dangereux qu'associe!(やばい、アイツだ!)」
男たちは何故か彼を見るなり驚いた表情をし、申し合わせたかのように互いの顔を見たあと、トランクを投げ出して慌てて逃げていった…。
「あ………。」
雅はその場にペタリと座り込んでしまった。そんな彼に代わり、男は雅のトランクを拾い上げ、手渡してくれた。
雅は礼を言おうと顔を見上げる。
目の前にあったのは、サングラスをかけ、髭の生えた、自分よりも少し背の高い男だった。
「……ど……どうもありが……」
旅の疲れと灼熱の太陽が、いつの間にか体力に自信があった雅からエネルギーを奪っていたらしい。クラリと眩暈がしたかと思うと、雅のそれ以降の記憶はとぎれてしまった。
完全に気を失ってしまったのである……。
************
雅が目を開けると、真っ先に眼に飛び込んできた景色は、古ぼけたシーリングファンがゆっくりと回る天井だった。
その部屋の全てがアンティークなセピア色に見えた。そこだけがなぜか時間の流れ方が違って見えた。自分が寝ていたベッドの直ぐ脇に、机が置かれている。どうやらそこは寝室兼、書斎のようだった。
「…大丈夫?ほら、水…」
それは、雅の視界に最後に映った、トランクを取り戻してくれた男だった。彼はミネラルウォーターの入ったペットボトルを、雅に差し出した。
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