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その夜、明は街のバーに顔を出していた。
酒の入ったグラスを見つめながら、カウンターで考え事をしている。
「……アキラ!隣、いい?」
その背後から、スレンダーな黒髪の美女が声をかけてきた。
「……なんだ、ルミか」
「つれないわね。私も同じもの、もらおうかしら?」
「Donne-moi la meme chose(同じものをちょうだい)」
バーテンに声を掛ける彼女のセクシーな声が心地よく耳に響く。
「…今日、面白い日本人に会ったよ」
珍しく明が穏やかな表情だったので、ルミは興味深そうに見つめた。
「へぇ…。このあたりで日本人?観光か何か?」
「ああ、ちょっとスラムでトラブルがあってさ。たまたま通りかかったンで、手を貸してやったの」
「あら、珍しいわね。いつものアンタならそういう面倒事には関わらない主義だったはずじゃない?」
ルミは明とは長い付き合いのせいか、彼の性格をよく心得ていた。
「ん……なんだろうねぇ。運河のカヌーの上からたまたま見かけたら、なんだかほっとけなくなっちゃった…」
「まぁ…随分と衝動的ね。名前聞いた?」
ルミは面白そうに身を乗り出す。
そして彼女の前にバーテンダーがオーダーされたグラスを置いた。
「…ああ、聞いた。なーんか、ほっとけないというか…カワイイというか」
「……話だけ聞いてると、幸人みたいね…?」
「……ああ」
ルミはグラスを持ち上げ、明のグラスにカチンと当てる。
「…アナタの人生に!」
「…そりゃどーも」
もう、ここ何年も忘れていた。亡くなった幸人のことを。
ルミに幸人に似てるようだ言われ、雅のことが気になっていた訳に納得できた明だった。
そう…
今日会った雅は、とても素直な綺麗な眼をしていた。
そして、ルミに言われたとおり、なんとなく、雰囲気が親友だった幸人に似ていた。
雅と過ごしたのは小一時間程度だったが、そのわずかな時の間、明は知らず知らずのうちに、過去の傷が癒されていたのを、今知ったのだった……。
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