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「ねえ」
美代子は変わらずに穏やかだった。
「うん?」
「今日ね、臥待ち月っていうんだって!」
「月?」
「うん、月の名前。19日の月の事をそう呼ぶんだって!今は雲がかかってて見えないけど」
「そうなんだ。いい言葉だね。」
「うん、ミヨちゃんいま何時だっけ。」
「…今、7時半だから、後1時間くらい」
「もう、それだけなんだね」
「…………」
羽乃の手が、震えながら美代子の服の裾を掴んだ。
「行かないで」
羽乃が美代子の腕に顔を押し付けて、顔を隠した。
美代子は腕を伝って落ちたそれと声色で羽乃の事が全部わかった。
「…私ね、羽乃ちゃんと行った動物園が好き。このプールとか、一緒に食べた唐揚げとか、私の1番大事な、大好きな思い出。
でも、だから、自分一人だけで何かを好きになってみたいって思ったの。そしたら、絵の事だってまた向き合えるかもしれないって。自分で全部きめたのに。どうして」
美代子の?にも同じ温度が伝っていた。美代子はそんな自分をずるいと思った。
羽野がぐしゃぐしゃの前髪のまま顔を上げる。
「ミヨちゃん、やっぱり絵がすきなんだ」
「うん。私、画家になりたいの。」
「なれるよ。ミヨちゃんの絵、私大好きだもん。応援だってしたいのに、でもミヨちゃんにいって欲しくないんだ。寂しいんだ。だからこうやってミヨちゃんの事を迷わせて、泣いて、私は悪い子なんだ」
「そんなことないよ、私だって寂しくて、涙が止まらない」
2人は抱き合った。
羽乃がプールに落ちた。裾を引っ張られて、美代子も落ちる。
「ミヨちゃん!」
手を伸ばして、指が触れたを片手は繋いだまま、プールサイドに上半身を預ける。涙はプールに溶けた。羽乃は思った。こんなに泣くのは生まれて始めてだ。明日の今頃、海の半分くらいは私たちの涙なんだ。あの言葉。
「今日はもう少しだけ、一緒にいよう」
美代子は最後にいたずらっぽく笑った。
「うん、もう少しだけ。」
月を隠していた雲が晴れた。月は2人のいるプールサイドを照らした。その光の中に2人はいた。
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