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男の本は薄く、装丁はけばけばしかった。表紙には自己満足にひたって大物ぶったスーツ姿の男の姿が描かれている。
そんな本にむかって、執事はおごそかに言葉を続けた。
「世界にたった一人のあなたが書物になれば、それは世界にたった一冊の本となる。……どんな本でも、わたしはおおむね満足してきました。よい読書をしてきたつもりです。退屈しのぎ……。そう、わたしにとって読書は退屈しのぎです。ゆえに、つまらない本を書棚に入れる趣味はありません」
執事は先刻まで男自身であった「おれという男の本」をもう一度だけページをめくった。一文を読み返して、ため息をついた。そして、「くだらぬ……」とつぶやいて暖炉に近づいた。
暖炉の中で、一度本は炎をおしつぶした。本のへりが黒ずみ、火の勢いによってページの一枚一枚がめくれていった。端から黒く焦げ、燃え上がりはじめる。
炎がぺージをなめてゆき、固い背表紙の部分は火傷の水ぶくれのような気泡の形を浮かべた。
書物はふつう、悲鳴をあげることはない。
このときの「おれという男の本」をのぞいては。
了
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