6.温度(風愉side)

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「ベランダって、この家にあるんですか?」 唇を離すと、唐突に彼が僕にそう聞いてきた。 「…なんで?」 なんの脈絡もない質問に僕はとりあえずそう聞くと、彼は「煙草、どこで吸ってるのかなって。」と言う。 「………におった?」 「…キスすると、ちょっと。」 「え、ほんと?ごめん。」 あまり臭いのないものを選んで吸っていたので普段は指摘されることもなく、僕はつい謝る。 しかし亜砂は何一つ顔色も変えずに「僕、煙草の味が好きなのでいいです」と答える。僕は、味、という表現が若干心に残りながも、「あっちの書斎に。」と指差しながらベランダの存在を教える。 「行っていいですか?」 それを聞いた彼が少し嬉しそうに言う。僕は彼の思いつきや行動をただ見守るように「いいよ」と行って、彼をベランダへと案内する。いつもこんな感じだ。 暗闇に満たされた書斎を抜け、その奥のガラス戸を開ける。古典的な模様の入ったデザインガラスで昼間は綺麗な光を書斎に入れてくれるのだが、今は夜で、ガラス戸も静かに眠っている。 その前まで亜砂を連れて行くと、案の定亜砂が「開けてもいいですか?」と聞くので、僕は「さむいよ?」と断りを入れるものの「大丈夫。」と言うので僕は開ける。 その瞬間に冷気が部屋の中に流れ込み、あさがやっぱり「ん、さむ」と呟いて肩を寄せるので、僕は書斎に置いてあった厚手のストールを持ってきて彼にかける。彼は、一瞬驚くも、無言のままその布の片端を僕の反対側の肩へと掛ける。 今度は彼が「座ってもいいですか?」と聞くので、僕はいいよ、と返事をして、布に包まれたまま同時にそこへしゃがみ込む。 「雨の匂いがしますね。」 「そうだね。雨が降った時のコンクリート匂いだ。」 彼の言葉に僕はそういう。ポツポツと僅かだけれど雨が降っている音が聞こえ、こういう小雨の時が一番この匂いに包まれている。彼のいう、雨の匂いに。 「さっきは降ってなかった気がするんだけどなぁ。」 「走ってたから気づかなかったんじゃないの?」 「でも、匂いもしなかったですよ。」 「それは亜砂の嗅覚が、寒さで無くなってたからでしょう、ほらさっきは鼻も赤かったし、」 「あーたしかに。」 彼はそういって笑う。そんな亜砂をみて、暖かい部屋に入り、急に五感が戻ってきて敏感になったから煙草の匂いも分かったのかもしれないなと僕は思う。 「吸わないんですか?」 唐突に彼が僕に向かってそういうので、彼の方を見ると、睫毛が伏せられ、視線がベランダの床に置いてある灰皿に向かっていた。何故彼はそんなにタバコに興味を示すのだろう。今まで一度も話をしたことがなかったのに。 「吸って欲しいの?」 そう聞くと、「うん。」と少し笑いながら彼がそう即答する。僕は「…変な子だなぁ。」言いながら、窓の脇にある本棚からライターと、煙草を一本抜き取って、火をつける。暗闇に赤い光がジワッと灯り、炎の暖かさが空気を揺らす。僕は一口吸い、ゆっくり煙を吐く。煙の匂いが鼻を霞める。
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