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最後に、海に行きたいとヒロくんは主張した。近くの海に、電車で向かう。人気のない電車は、私たちを異界に誘ってくれるのではないかと錯覚しそうになってしまう。もちろん着く先は、想定していた駅でしかないのだけれども。
最後の場所が海なんて、いかにも「らしい」な、と思ってしまう。ヒロくんも同じことを思ったのか、ふと顔を見合わせて笑ってしまった。
海は静かに凪いでいた。風が、塩辛い。
晩秋の海は、どこか寂しい。真冬の海ほどの厳しさは持たず、真夏の海ほどの解放感は持たず、春の海ほどの緩やかさは持たない、秋の海。
その半端さがまた、憂愁を誘うのだ。
ぼうっとして、ヒロくんは水平線を眺めていた。
「ミカゲさん」
「うん?」
相槌を打ち、私はヒロくんの横顔を見る。どこか吹っ切れたような表情だった。
「……どうして、ミカゲさんは俺を助けようとしてくれたんですか?」
私は答えあぐねて沈黙していたが、彼はなおも続けた。
「だって俺とミカゲさんは、マーマーッターでのつながりしか、なくて。こんなお金たくさん使って、有給まで取って、どうして」
「……あのね、ヒロくん」
私は勇気を出して、口を開いた。正直、反応が怖いけれど。ヒロくんも、精いっぱいの勇気で質問してくれただろうから。誠意で応えたかった。
「私が会社に入りたての時、親切にしてくれた先輩がいたの」
私はヒロくんに語った。快活でスポーツが得意で、笑顔の明るい人だった。学生生活もずっと上手くいっていたらしい。彼は営業で私は事務職だったのだけど、失敗して落ち込む私をよく励ましてくれた。
『だいじょーぶ。御影、次は気を付ければいい。お前がだめな奴じゃないってのは、俺が知ってるからな』
事務の先輩にこっぴどく怒られて泣く私に、缶コーヒーを渡して慰めてくれた。私を特別扱いしているのではなく、先輩は誰にでも優しかった。
おそらく彼の初めての挫折は――新しく来て、彼の直属の上司になった課長から、忌み嫌われたことだった。何がどうそんなに気に喰わなかったのだろう。課長は先輩に、大量の仕事を押し付けたり、人前で怒鳴ったりした。
『クズは死ね!』
課長お気に入りの言葉は、オフィスにいんいんと響き渡った。
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