第1章 別れ

3/4
前へ
/11ページ
次へ
「これ、ゴミ箱に入ってたよ」  手には、への字に曲がって不機嫌そうな、俺の現代国語の教科書が握られていた。  当然、ありがたくはなかった。ゴミ箱に入っていたら、それは捨てたということだろうよ古田さん。  苦渋の決断の末、俺はこう言うしか無かった。 「ありがとう古田さん! 探してたんだ!」  そして、満面の笑みでそれを受け取った。当然だろう? 後で家のゴミ箱に捨てよう。  それから、自然な流れで、駅まで一緒に帰ろうということになった。  初めは緊張して、三言に二言はどもるし、古田さんと呼ぶたびに、古田という字がゲシュタルト崩壊していたが、慣れてしまえば至福の一時となった。 「古田さん、確か星好きだったよね。何の星が好きなの?」  好きな女の子が、好きなものについて話す様子が見たくて、俺は色々な質問をした。  変なことばかり聞くので、古田さんは面食らったように笑いながらも、ちゃんと答えてくれた。 「何の星……か、難しいこと聞くなあ。夏の大三角、とか? かなあ」  うーん、と古田さんは、まだ何か考えているようだった。  やがて、考えがまとまったのか、嬉しそうに言った。 「やっぱり、月かな」  月。地球から一番近い星だ。  俺は、月に関してそれくらいの知識しか無かったので、正直に聞いてみた。 「月のどんなとこが好きなの? 確かにでっかいけど」  古田さんはまた笑った。 「月は小さいよ。小さいけど、すごく綺麗に見える時があるんだよ。私も、小林君も、いつかきっと経験するよ」  古田さんは、遠くの空を見ながらそう言った。  月を探しているのかな、と俺は思った。しかし、月は見当たらなかった。  駅が近付いて来た時、古田さんが俺に聞いた。 「小林君って、どんな本読むの?」  この後、俺が言った言葉は、一つも覚えていない。その分の記憶を、古田さんの、悲しそうで、悔しそうで、何より怒りに満ちた表情が埋め尽くしている。 「私は……それでも、本が好き。辛い時に、同じ感情を持った人がここにもいるって、君は(ひと)りじゃないんだって、本はいつも教えてくれた。励ましてくれた。だから、無価値だなんて決めつけないで。一方的なのは、小林君の方じゃない」  古田さんは、こう言い残して、駅の構内に去ってしまった。  俺は、教科書を手近のゴミ箱に叩き付け、今度こそ別れを告げた。  
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加