人生を貸す懐中時計

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+ あれから20年近くが経ち、あの廃墟ビルは取り壊された。 ビルがなくなったという事は、あの時に見た『70年後の風景』は、やはり幻覚だったのだ。 宝飾店を最期に訪れた次の日、僕をイジめていたa男も普通に通学してきて、いつものように僕を苛めた。 いつもと違ったのは、僕が一度だけa男に反撃した事だ。 目一杯の力を込めて挑んだはずの渾身の右フックは見事にかわされ、取り巻き数人にボコボコにされた。 一人では解決できないと思い、両親に相談した。 学校側は『イジメはない』と主張したので、自宅から通える別の中学に転校する事になった。 転校してからも少しいじられる事はあったが、前の中学ほどの酷いイジメはなく、無事に卒業できた。 高校では友人もできた。 卒業前に別れてしまったが、大学では数ヶ月間だけ彼女ができた。 今は中小企業に就職し、サラリーマンとして日々を送っている。 実は、今の職場で三社目だ。 生きていたら、誰しも苦手なタイプの奴と出会(でくわ)す。 だけど日々を重ねていくにつれ、嫌な人間ばかりではないという事も知った。 あの頃は、教室という狭い枠の中と自宅だけが全てだと思い込んでいただけだった。 両親も健在で、独り暮らしを始めてからも三人で食事に行ったりする。 今でもあの時、イジメの事を相談してよかったと心から思える。 あの頃の僕は、今でいう中二病だった。 僕は特別な人間などではなかったらしく、今も特別な才能は見当たらない。 だけど週末は大学時代に始めた趣味を楽しみながら穏やかに過ごしている。 今後またあの店が目の前に現れたとしても、僕はもう誰かに人生を貸そうだなんて思わない。
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