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どんなに1日1日が長かろうと、人の意思とは無関係に時は流れ続ける。
正月休みも最終日。
つまり、X DAYを迎えてしまったのだ。
昨日まで後悔と羞恥心でもがいていたが、いざその日を迎えれば驚くほど静かな心持ちだった。
無論、覚悟が決まったわけでも何でもないが、少なくとももうジタバタしたりしない。
しかし、相変わらず迷い続けてはいる。――行くのか、行かないのか。
『年を取ってもずっと仲良く楽しく生きていくの。私は美沙とそんな風に生きていきたいな』
彩乃が右耳で囁く。
それを目を閉じて反芻する。
それから宗太の言葉を待つが、いつまで経っても彼は何も言わない。
どうして――と考えたが、思ってみれば宗太と言葉を交わした回数など、彩乃に比べればほとんどないに等しいことに今更気付いた。
どんな幸せを2人で感じて、どんな苦しみを二人で分かち合ったか。
思い出そうとするには、美沙と宗太の歴史はあまりに浅すぎた。
この恋は本物だと思った。今も本物だと思っている。
でも、語れるものは何もない。
それが美沙の不安と彩乃への懺悔の念をより一層強くした。
もう遅い。――何もかもが遅いのだ。
美沙はマスカラが下瞼に付くことも厭わずに固く目をつむった。
泣くつもりはなかった。
ただ、自分が取るべき最善の行動を、最後の最後まで考え抜くつもりだった。
そして今、美沙は黒く染まった空の下を歩いている。
休日でもオフィスビルの明かりが煌々と輝くことに些か驚く。
周りを見てそんなことを思う余裕もあり、足取りも決して重くはなかった。
時刻は午後7時を回っていた。
美沙が指定した時刻を1時間も過ぎているのだ。
これが美沙の出した答えだった。
いや、答えを半分放棄したという表現が正しいか。
結局、自分のしたことが恐ろしくなってしまったが、結果を見届けないという覚悟もなく、こうして約束の時間を守らずにのこのこと現れようとしているのだ。
時間を過ぎているのだから宗太はいなくて当たり前。
そうやって自分にエクスキューズをして逃げようとしている。
卑怯なのは十分承知しているが、人の道ならぬことを既にしてしまっていれば、そんなことは気にもならない。
それでも、仄かに灯る街灯がポツポツと浮かび上がるだけの真っ暗な公園の入り口に立った時は足がすくんだ。
単純に、夜の待ち合わせ場所にするには不気味すぎたと後悔しながら、美沙は先ほどよりも歩調を緩めて中へと進んでいく。
当然のことながら、宗太はおろか、人の気配を微塵も感じない。
いつも美沙と宗太が会っていた木陰のベンチの方はさらに街灯の数も乏しく、まるでお化け屋敷の中を進むかのような心持ちだ。
見えない足元が恐ろしく、覚束ない足取りで少しずつ奥へ奥へと進む美沙だが、やがてふと立ち止まると、おもむろにその場に腰掛けた。
宗太が現れるならばここであろう、つかの間のランチタイムを共にした思い出の場所だ。
もちろんその場には美沙以外誰もいない。
分かっていたことだったから何も感じなかった――と思いたかったが、美沙の胸の奥の奥が、ほんの少しだけチクリと痛むのを無視することはできなかった。
自分からわざと会わないようにしたのに、宗太がいなかったことに傷ついている自分。
刺すような冷たい夜風が今夜は心地よく、美沙はそのまましばらく宗太への想いと向き合うことにした。
宗太と交わした言葉を思い出そうとしても、脳裏に浮かぶのは彼のどこか困ったような柔らかな微笑みだけ。
美沙の頭の引き出しにある彼の姿は、たったその程度なのだ。ろくな言葉も交わしてこなかったくせに、何の間違いか運命だと感じてしまった。
でも、今。
やはりあの笑顔が恋しい。
熱いものが喉元をこみあげ、それがそのまま目から頬を伝って一筋の道を作った。
「来なければよかった」
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