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懐かしい、という言葉は、どのような意味を持つものだったのでしょうか。わたしは、決して蓋を開けてはいけないパンドラの箱を目の前にしたような、ある種の畏怖と気まずさのようなものを感じていました。 わたしは高い熱があるときのような、ふわふわと足元が定まらない心地で、あなたに問いかけました。あなたの姿が、ふいに揺らめきました。 「どうしてあなたが、ここに」 「約束だからね」 やくそく。 そう発音したときの、些細なイントネーションの癖。そこには間違いなく、あなたの面影がありました。あなたは疑いようもないくらいに、あなた自身でした。 「わたしは、きみとの約束を守りに来たんだよ」 幻聴でしょうか。 そのときどこからか、さらさらと砂がこぼれ落ちる音が、聞こえてきたような気がしたのです。 わたしは眩暈を覚えました。 靄が立ち込めてゆくように目の前が次第にぼやけ、あなた越しに見えていた階段の手すりも、小さな靴箱の上に置かれた封書の束も、そしてあなたの姿も、輪郭が頼りないものになってゆきました。自分が置かれている時間、そして空間が歪み、わたしはいまどこにいるのか、それさえも曖昧になってゆきます。確かなものは、視界の隅で揺れるエンジ色と、頭の中に直接流れ込んでくるあの音だけでした。 さらさら、さらさら。 わたしは薄れてゆく意識の中で、耳に手を当てました。 さらさら、さらさら。     
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