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「ここは、お客さんのいらないお店ですね」
あるとき、わたしはあなたにそう告げました。
それがいつであったのか、正確な時期はわかりません。ですが、そのとき店内はあなたとわたしのふたりきりであったこと、コンクリートに叩きつける雨音が微かに聞こえていたことは、はっきりと覚えています。そしてわたしが常連客とみなされるようになってから、さほど経っていなかったということも。
お客と店主の間に交わされる常套句以外で、あなたと会話らしい会話をしたのはこのときが最初だったのだということには、わたしは後になって気がつくことになります。
「何故、そう思うの」
カウンターの中で腕時計を磨いていたあなたは、顔をあげて薄く笑いました。
「必要としていないように見えるからです」
「誰が、何を」
「あなたと、それから時計が、それ以外のすべてを」
ひとりきりの店主と、いくつもの異なった時を刻む時計たち。それで既に完結したひとつの空間であり、そこに第三者は必要としていないかのように、わたしの目には映っていたのです。ある瞬間で固められてしまったような、絶妙なバランスの保たれた空間。
「ところで、きみはお客なのかな」
「一応は、そのつもりです」
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