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ひさしぶり。 玄関先でそう笑いかけられたとき、あなたが誰であるのかわかりませんでした。 にこやかなあなたの顔は、わたしよりも頭二つ分ほど高い位置にあって、片方の目が前髪で隠れていました。どこかから蝉の鳴き声が聞こえていました。それは、あなたが羽織っていたウールジャケットには不釣り合いであるように、わたしの耳に届きました。 どちらさまでしょうか。 そう言いかけたとき、あなたの首元――シャツの襟の隙間から、かすかに覗く金色の鎖が目に入りました。 思い出します。それがまるで自分の象徴であるかのようにいつも身に着けていた、夜を溶かしたような深い色合いのジャケットを。やわく微笑んだときに現れる、右頬のえくぼを。すこし俯いただけで目元を隠してしまう、長い前髪を。慈しむように時計に触れていた、繊細な指先を。首にさげられた金色の鎖と、その先に存在するきらめきを。 思い出します。それが、あなただったということを。 わたしはすこし躊躇いがちに、あなたの名前を呼びました。するとあなたは頷いて、ひさしぶり、と再び言いました。 「忘れられてしまったかと思ったよ」     
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