第二章 時代の流れ

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 笹岡弘明は父、一郎が残した少しばかりの財産をもとに不動産会社を設立した。戦後の復興で、必ず不動産業は伸びると考えてのことだった。生活は少しだけ裕福だったが、子供ができなかった。暮らし向きが良くなっても、やはり子供がいないので寂しい家庭であった。明治神宮にも欠かさずお参りに二人で出かけていた。それでもなかなか子供ができなかった。1959年、弘明は36歳になっていた。思い切って二人で佐世保に旅行に行くことにした。当時の海軍病院は民間に払い下げられていた。佐世保は米国の空母を整備する義務を負っていたので、なぜかしらか周囲は物々しかった。一週間の滞在期間だったので、思う存分羽を伸ばそうと思っていた。まず、九十九島を遊覧船で二人で巡った。そして展望台からは九十九島の大パノラマが一望できるという芸術的光景も見れた。眼鏡岩、潜竜ヶ滝公園、長串山公園を見て回った。佐世保に鎮守府がおかれてから、太平洋戦争 が終わるまでの約60年間に亡くなった海軍将兵17万余柱の霊が祀られている佐世保東山海軍墓地も歴史をかみしめながら見て歩いた。佐世保要塞 丸出山観測所跡にも行った。二人は想像していたより、佐世保が海も山もある観光地として素晴らしいところだと感銘を受けた。最後の夜は、佐世保軍港の夜景が見えるレストランで食事をとった。久しぶりに恋人に戻った気分で二人は夜景を楽しんだ。「お父様は、ここで亡くなられたのね。」弘明の妻の明子が言った。「今ほど整備されてなかっただろうけどいいところだよ。この佐世保は。」「本当よね。こんな素敵なところで亡くなられたのなら本望だったのかもしれない。」十分楽しんだ後二人は東京へ帰った。     
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