蘇る死体【佳純】

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 翌朝、啓介の腕の中で目が覚めた。同じボディソープの香りがする素肌は、離れるのが難しいほどに甘く温かく、私をただの女に変えた。 「…お前、良い女だな」 「……そうですか?」 「言っておくが、俺は……問題児だぞ?」 「もう、知ってる」 「お前のパパが知ったら、心臓発作で死ぬかもな」 「あの人はそんなに(やわ)じゃないですよ」  私が笑うと、彼も笑った。  服を着ている時だ。法医学教室からの着信。電話に出ると、興奮したように早口でしゃべる医師の声が聞こえた。あまりにも早口だから、最初何を言っているのか全然聞き取れず。「落ち着いて、ゆっくり喋って」と、訴えた。すると、 「消えたんです! 少女の遺体がひとつ、居なくなったんですよ!」  まさかの事態に、耳を疑った。 「……なんですって?!」  この瞬間、鳥肌が末端から身体の奥に向かって撫でて行った。背筋が寒い。  啓介に伝えると、彼はギョッとした顔をしながらネクタイを締め終えた。ワイシャツの一番上のボタンをはずし、緩めたネクタイのままジャケットを羽織る。私は服装の乱れを鏡でチェックしてから、彼と二人でホテルを出発した。  大学病院の別棟に行くと、パトカーが二台到着していた。駆けつけた旭川の警察官数名と敷地内を捜索しているという。私と啓介は遺体が保管されていた死体安置用の冷蔵庫がある部屋に招かれ、状況を確認した。  背の少し高い少女の遺体はそのままだった。小さい方が消えているという。残された手の跡と、床に残った裸足の足跡を見て頭が混乱する。間違いなく、あの子は死体だったのに。これじゃまるで、死体が歩いたみたい…。  啓介も同じように、眉間に深い皺を寄せてただただ茫然と状況確認を続けていた。足跡を追っていくと、廊下の途中で消えてしまったという。そこには、開けっ放しになった窓があり、窓枠には少女のものらしき手型がしっかりと遺っていた。 「…嘘でしょ? なによ、これは!」 「ありえません! あの子は間違いなく死んでいました! 心臓を取り出して量ったわけですし、脳だって目玉だってもう……」 「それ以上言うな!」と、啓介が医師を制止する。  彼は真っ青な顔色をしながらも、その手形がどういった状態で付いたのかを確かめるように、窓枠を跨いで乗り越えた。そして、そのまま雑草生い茂る裏の雑木林に向かって進んで行ってしまう。私は慌てて後を追った。医師には、手形と足跡を計測するようにお願いして。  啓介は物凄い速さで獣道を突き進む。その後ろを追っていても追いつく気がしないほどだ。彼はまるで警察犬のように鼻が効くのだと以前誰かが言っていたのを思い出した。追跡がやたらと得意な刑事もいる。  しばらく進むと突然視界が開けた。手入れの行き届いていない小枝だらけの中を通ったせいで、あちこちにみみずばれや擦り傷が出来ていた。啓介は広くなった場所の真ん中に立って、キョロキョロと四方八方を見渡していた。まるで、そこで手掛かりが途絶えたと言わんばかりに。 「……どうしたの?」  やっと追いついて声をかけると、彼は飛び上がって驚いた。何か普通じゃないぐらいに緊張していることだけはわかった。 「嗚呼…。なんてこった……、噂に聞いたんだ。前に、……少女の化け物が出たっていう」 「なにそれ?」 「俺も、ずっとそう思ってた。でも、見ろよ」  彼が指差すところには、遺体に着衣させていた布が落ちていた。 「少女はここまでこの布一枚纏ってやってきた。で、ここに捨てた。どういうことかわかるか?」  そんなこと、わかるわけが……化け物?  その単語が、引っかかる。一体、どんな化け物だと言うの? 「零度近い気温の中、全裸で逃亡?」  思いつくがままにそう言うと、啓介は唇に歯を立てながら唸るように答えた。 「少女は何かに変身したんだ。それしか考えられない!」  啓介はその布を、白い手袋で挟むようにつまみあげた。銀色の糸のような毛髪が一本だけ付着していた。  アルパカ顔の相良は、万引き事件の対応を終えると駐車場に戻ってきた。初犯の少年をしょっ引かずに、二度目はないと釘を刺して保護者に引き取りに来させた。店長は少年親子に出入り禁止を伝えたそうだ。大抵は我慢ならないのだから、当然のことだと思う。  運転席に乗り込み、私をじっと見てくる。話が途中だったから、続きを聞かせろと言っているような目だ。  私は啓介との馴れ初めを抜いて、ざっくりと説明した。結局、あの子はそれから一度も誰にも目撃されることなく消えたまま、月日だけが悠々と流れている。初めて遺体の彼女を見た時から、私の足下の地面は透過して頼りない。いつでも暗闇に引きずり込まれそうな不吉な気配に負けてしまいそうになるたびに、頭を横に振ってしまう癖がついた。
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