蘇る死体【佳純】

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     *  この在り得ない出来事が公になることがあってはならないとして、世間に公表することは固く禁じられた。警察犬の鼻をも振り切ってしまった謎の少女は、今頃どこにいるのか。遺体喪失の影響で、残された少女の遺体もあるというのに、警察はこの不可解な事件の一斉を手付かずの未解決ファイルの中に放り込んだ。気味が悪過ぎて、誰も担当したくないのだろう。連続遺体遺棄事件の影響はこんなところにも顔を出す。  不気味な事件ほど人々の記憶から消し去られるのは想像している以上に早い。得体の知れない存在を受け入れられないのだから、自然の摂理で片付けられてしまう事案なのかもしれない。けれど私は、絶対に忘れない自信があった。あの美しい死に顔は、目を閉じた途端にはっきりと見えてしまう。いつか、その瞼を開いて私を見返される気がして、ゾクゾクッと悪寒を覚えるのだ。  年明けて間もなく、道警中央警察署の署長である父が行方不明になった。連絡もせず身を隠すようなことをする人じゃないと大掛かりな捜索をしていると、寂れた神社の拝殿の裏にある御神木と言われる大木で、突然見つかった。姿が見えなくなってから、一週間は経過していた。  父の死に様は、首つり自殺の体を成していた。在り得ないほど、かなり高い場所から首を吊っていたのだ。自力で登ったにせよ、梯子もなければ足をかけられそうな枝もない。明らかに不審である。首を吊っていたロープからは、父意外のDNAは検出されなかった。首の骨が切断されており、全身の肉が骨から引き剥がされて、着ぐるみを来た骸骨を連想させた。吊っているが為に、直視できないほど残酷に、縦に伸びきっていた。  下から重たいものでもぶら下がらない限りこんな形状には成り様がないと、鑑識班の廣田主任が語ってくれた。発見後、いつ置かれたものかも知れない遺書めいた手紙が、署長専用のデスクの引き出しから発見。そこには「全ての責任を取って自害しますことをお許し下さい。」と、父の直筆で綴られていた。  何についての責任か書いていないなんて、父さんらしくない。おかしい。  なのに、誰も何も言わず粛々と葬儀に流れて行った。まるで父の死を当たり前のように受け入れ、事件性がないと断定し、荼毘に付されることに抵抗しない。いくら鑑識班に訴えても、殺人課の責任者に相談持ちかけても、梨の(つぶて)だった。それどころか、嘆き悲しむ演技し終えた後は何事も無かったように、すぐに日常へと戻って行ってしまった。  私はこの現実感のない一連の出来事に対する不信感に浸って、泣くこともできなかった。悲しみよりも遥かに大きな不満を抱え、食事も水も他人の親切さえも喉を通らなくなり…。  ―――何かがおかしい。在り得ない。あってはならない。  父の遺影を抱いて私は放心状態に陥った。啓介だけは優しかったが、彼は不自然なほど沈黙を貫いた。同じ境地に立った者にしか見渡せない荒涼とした世界を前に、私は成す術なく大地を殴りつけるしか無かった。      * 「……少女の化け物? どんな?」  相良の声に、我に返る。嗚呼、今私はこいつとドライブ中なのだ。  形だけの相棒が常に隣にいるなんて、頭痛の種でしかない。その時、小さな電子音がしてジャケットのポケットから携帯端末を取り出すと、捜査本部はすでに立ち上がり会議は始まっているという内容のショートメールが届いていた。当然、誰も私達・生活安全課の捜査員を待ってなどくれない。 「あんたは、どんな化け物だと思う?」 「…クイズっすか? そういうのは得意じゃないなぁ」  アルパカがヘラヘラと笑った。このどうでも良い瞬間でさえも、気を抜くと殴ってしまいそうだ。自分を(足しな)めるのに、常に忙しい。 「…うーん、なんだろう? 目撃者が化け物って思うぐらいだから、猛獣系ですか?」  彼はさすがに、馬鹿ではないようだ。勘はある。 「誘導尋問になってる。ヒントはあげない」 「またそうやって、新人イビリする…」 「鍛えてあげてるのよ。これでも、献身的にあんたの成長を支えてるんだから、文句言わずに感謝しろ」 「…村本さんて、ほんっとうに残念な人だな…」  心の声をそのままお漏らしする若者思考には、うんざりだわ。また、首を振ってしまう。 「今すぐ答を求めずに、その謎を体内で温めておきなさい。人間が起こす事件はね、ぱっと耳に聞いただけじゃわかりっこない情報が詰まってるんだから。想像力よ、想像力」 「…説教かよ」  相良はうんざりげに唸り、黙り込んだまま中央警察署に向かった。  三階建ての建物の三階に会議室がある。入口の真正面を真っ直ぐ進むと、一番奥にエレベータが二基もある。ひとつが使えなくなっても、もうひとつが使える方が良いということで、数年前に新築された建物に無駄な空間は残されていない。  防犯カメラと目を合わせてから、エレベーターを降りた。会議室前にはB4サイズのコピー用紙に事件名が書かれた紙がドアの横の掲示版に貼られていた。横文字だ。  中に入ると会議用机が並び、一列に六名ずつ着席している。正面の奥では教鞭を振るうように演説している署長が、私を一瞥した。先に提出しておいた報告書のコピーは配られた後で、鑑識の報告が読み上げられている最中だった。十四人の捜査員達は熱心に耳を傾けてはいるけれど、繰り返される未解決事件の再来にはもう慣れてしまっている。  還暦間近の犬塚警部が、お地蔵様のような穏やかな表情をしながら感想を述べた。 「これはいつもとは明らかに違う。ラブホテルの個室だなんて、妙だ。同一犯じゃないんじゃないか?」 「新手の犯人がいるとでも?」 「人の出入りを確認したのか?」 「はい。防犯カメラの映像から出入りした客も従業員も、全員アリバイがあります。害者と同伴した女だけが身元不明のままでした」 「女を探せ」 「今、もう顔認証で検索してます」 「どれぐらいかかる?」 「早くても二時間は掛かります」  署長はため息をついた。
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